言ってはいけないことのようで、気後れする。
言ってもいいのかな。
私、「会えない状況」が嬉しいんです。
みんなと同じ「普通」の生活
世間は疲れている。
生活が一変したんだから、当然だ。
週末のお出かけも、飲み会も、旅行も、自粛。
せめてもの楽しみとして、オンライン飲み会が流行っている。
SNSを開くたびに「もう少しの辛抱だ」と呟く人を見る。
「頑張ろう。みんなで乗り越えよう。」
そんな言葉を見ると、胸の奥がギュっと掴まれたような感覚に陥る。
私にとっては、会えないことよりも会えることのほうがストレスだから。
今は、誰にも会わないことが普通。
みんなも会ってない。
やっと普通に戻れた。
「Stay Home」家から出ないことが肯定される社会の到来
精神科で「不安障害」と診断されたのは、かれこれ5年前。
外出すること、電車や車に乗ること、人混みに揉まれること。
普通にできていたことなのに、怖くて、息が苦しくなる。
それ以来、私の日常生活はまるで変わってしまった。
未だに外に出るのが怖い。
特に、交通機関と人が大勢いる空間は苦手。
「また苦しくなるかもしれない」と思うだけで、クラクラしてしまうこともある。
なんとか踏ん張って外で仕事をしていた時期もあるけれど、結局どれも長くは続けられなかった。
自分なりの働き方を模索した結果、私はコロナ禍以前からリモートワークをしている。
「通勤できる人」に対する劣等感を今までどれだけ抱いてきたことか。
休日に友人と予定を立てられる人に、楽しそうに遊ぶ姿に、どれだけ憧れてきたことか。
それが、なんてこった、日本どころか世界中の人々が、外出自粛を求められるようになった。
私が今まで散々悩まされてきた「外出」の必要がなくなった。
むしろ、家に居ることが良しとされる。
時代が私に追いついたのか?
そんな調子に乗ったことは思わないけれど。
不謹慎だって怒られるだろうけれど。
「外出できない私」が、やっと世間で認められたような気がする。
「外に出なきゃ」の脅迫から解放された、穏やかな日々。
引きこもりの何が辛いって、「出なきゃ」って分かっているのに出られないことが、何よりも辛い。
出たくないわけじゃない。出たいと思ってる。
でも、思えば思うほど、外出や仕事に対するプレッシャーは大きくなる。
こんな状況の中で「会わなくていいことが幸せだ」と声を大にして言うことはできない。
でも、言ってもいいかな。
今、幸せなんだ。
誰かに誘われた時、二つ返事ができない自分を責めなくていい。
「今日も外に出られなかった」と悩む必要もない。
今日もstay homeを守って、心地良く過ごせた。
毎日そう言っていい。
自分の行動に胸張って生きられる。
この5年間で一番、プレッシャーを感じていないかもしれない。
会うのが怖い自分のうちは「今は会いたくない」と伝えたい。
誰かと気兼ねなく会える生活がまた戻ってきたら。
それはもちろん喜ばしいことで、私にも会いたい人はいる。
でも、会いたくても会えない、と感じてしまう私もいる。
大切な人たちに、自分から「会いたいな」って言えたら。
なんの気なしに、「また会えるようになって、嬉しいな」って笑えたら。
本当はそれが一番嬉しい。
でも、そんなに欲張らなくてもいいや。
会うのが怖い自分でも、いいや。
だから、次会うときは、私、「今は会いたくない」って言ってもいいかな。
そう言える自分になれたら、いいな。