知らなかった。私がここまでぐうたらしてしまう人間だったなんて。

知らなかったし、知りたくもなかった。私の頭の中での「本当の私」は、努力家で忙しくて、毎日を全力で生きている女の子。それが、仕事が激減した今ではすべてが覆されてしまった。

あれ? 私ぜんぜん頑張ってない

自粛期間中の私は、一体何を頑張ったのだろうか。海外ドラマを一気観したこと?料理をしたこと?noteを毎日更新したこと?
いや待てよ、それらは全てが娯楽だ。それ以外にしたことといえば、食べたり眠ったりお風呂に入ったり・・・って、どれもただの人間生活じゃないか。

あれ?私、ぜんぜん頑張ってない。
全然頑張っていない日々を毎日繰り返しているだけ。

この自粛期間中、何もしていないのに心ばかりがそわそわしていた。「何かやらないと」「何かやらないと」常に心がそう囁く。焦るばかりで、結局何もできていない。どういうわけか、心とは真逆のことを体がする。

わけもなくケータイをいじることが習慣となり、飽きるほどNetflixを観ることも日常となった。目覚めて朝ごはんを食べてテレビを観て、気がついたら13:00を過ぎている時の絶望感。あぁ、これで何度目だろう。もう、ぐうたらしている自分にはうんざりだ。

気がつけば自分が更に嫌いになっていた

私は、今の自分が嫌いだ。どうしようもなく嫌いだ。

もともと自己肯定感はあまり高くなかったが、おうち時間が増えたことで更に自己肯定感が下がった気がする。

2,3ヶ月前の忙しかった自分の方がまだ好きだった。私は会社員(販売職)とフリーライターを掛け持ちしながら、朝から晩まで働いていた。休む暇もなく、睡眠時間は毎日3,4時間。体力的には苦しかったけれど、それでも心が満たされていたのだ。

昔から、何事も必死にやってきた。ピアノも勉強も課外活動も、何でも。取り組むもの全てだ。時には頑張りすぎて体を壊すこともあったが、そんな自分もひっくるめて私らしいと思っていた。自己肯定感が低いながらも、自分の努力は認めていた。努力している自分の姿は、私にとってせめてもの救いだったのだ。私はそこまで自分のことを卑下しなかった理由は、そこにあると言っても過言ではない。

それが今では、コロナの影響で販売職の仕事はできなくなり、取材ありきのフリーライターなのでライターの仕事も激減してしまった。今、私の手元に残っている仕事はほとんどゼロ。悲しいことに、忙しくて努力家な私は過去の人となってしまった。

なんだかんだ、自分が好き "だった" のかも

忙しくて努力家な自分ではなくなってしまった今、昔の私がいかに素敵だったか気づいてしまった。

「自信ないんだよね」
「自己肯定感が低くてさ」

口癖のように自分を低く見積もっていたけれど、なんだかんだ私は私が好きだったんだ。どんなに忙しくても全てを頑張ってこなして、一生懸命生きている、素敵な人だったんだ・・・。

きっと、ぐうたらな私も、努力家の私も、どちらも「本当の私」。でも、私は後者でありたい。私は、なりたい私になる。昔の自分を取り戻してみせる。

そのためにも、早く昔の日常を取り戻したい。
環境を言い訳にするのは、人によっては馬鹿馬鹿しいと思われるかもしれないが、私にとっては必要不可欠な条件だ。いつになったら、また仕事が再開するのか分からないが、あと少しの辛抱だろう。

あと少し。あと少しで私はなりたい私に戻れる。そしたら、自分を素敵だと認めてあげよう。以前よりも自分を好きになっていると信じて。