4月で8年目を迎えた一人暮らし生活。普段からあまりテレビを見ない私は、カチッ、カチッという時計の音しか聞こえない、そんな空間が大好きだ。26年の人生を振り返ってみたり、未来を想像したり、自分の性格を自己分析してみたり・・・答えのない問いかけをし、自分なりの答えを見つける時間を過ごす。人生の1秒1秒が刻まれている気がして、未来に進んでいるような気がして、なぜだか嬉しい気持ちになる。
納得いかないことは追求する。周囲の人はそんな私を見守ってくれた
社会人としてもあっという間に4年目を迎え、「若手社員」の肩書が外れた。今日は何事も起きませんようにと心の中で祈った通勤時間も、毎日鳴るな鳴るなと念じ続けた電話応対も、何が冗談で何が本気かわからなかった上司の会話も、すべて3年も前の話だなんて、時の流れの早さに驚く。
4年目の私は、仕事にやりがいを感じながら、楽しく働くことができている。社内ミーティングでは、経験の少ない私に新しい目線を与えてくれたり、私の提案を採用してくれる機会も多くなった。直属の上司は「ゆっこさんは、のびのびと仕事をしているね」と言ってくれるが、周囲の支えがあってこそ、良い意味で自分勝手に仕事ができていると感じている。
学生時代からの自分の強みは「自分の意見をはっきりと伝えることができるところ」と「問題解決を諦めないところ」だと思っている。社会人になってからは周囲から「グイグイくるよね」とよく言われる。仕事中の口癖は、「それってなんでですか?」で、わからないことや納得がいかないことがあると、とことん追求する。社内の上司・先輩方は、私のそういう性格を重々承知で怒ることもなく、いつものことと温かく見守ってくれている。
ただ打ち上げの店を決めるだけ。なんで顔色を窺わないといけないの?
そんな私に大きな転機が訪れた。社員の配置が変わり、私の所属する部署は新体制となった。部長・課長・係長・先輩社員4名と私。新しい部長は、絶対権力者だった。課長以下の上司・先輩方は常に部長の顔色を窺っており、「部長は何て言うだろう」を想像しながらのミーティングが行われるまでになった。
ある日大きなプロジェクトが終わり、皆で打ち上げをすることとなった。開催場所はグルメな課長がずっと前からリサーチしてくれていた魚料理店に全員賛成で決定。しかし当日、部長の「肉がいい」の一言で、近くのチェーン店での開催となった。
多数決で肉のチェーン店になったのならば理解できる。しかし全員が魚料理店で賛成していたはずなのに、まるで夢だったかのようにあっさりと変更された。お肉も美味しかったが、課長の寂しそうな顔が、ずっと忘れられなかった。たかが打ち上げのお店の選択なのに、なぜそこまでして部長に気を遣わなければならないのか、疑問でしかなかった。
後日、係長にこっそり相談をすると「仕方ないよ、諦めるしかないんだよ」の返答だった。私だって、仕事上で何かを決定する際には、必ず部長の許可が必要なのはわかってる。でも、そんなに部長が正しいのだろうか。「実は昨日、全員で魚料理店に決めたんです」と部長に言えば、部長も許可してくれたのではないか。「上下関係」とは、こんなにも厳しく守らなければならないものなのか、私には疑問しかなかった。もしかすると私は、社会不適合者なのかもしれない。
黙って従えばうまくいくとわかってる。でも、私は私らしく生きたい
これから40年以上続くであろう社会人としての生活。この荒波をうまく乗り越えていくためには、上の言うことに絶対従い、ニコニコ愛嬌を振りまき、自分の意見を押し殺し「私もそう思いました」と同意をすることに全力を尽くせばよいのだと思う。それはとても容易いことだと思う。たった一瞬、たった一言を発する前に、状況を把握して話せばよいのだから。「このシチュエーションにはこんなセリフが似合うかも」と、まるでドラマの脚本家になったかのように考えれば、日々の生活に面白みが増すかもしれない。
しかし私は社会をうまく生きることより、自分の強みを消さないことを大切にしたい。社会人としての私ではなく、私らしく生きる私が好きだから。