あの夏に戻れたらと言われれば真っ先に思いつく。
高校三年生の夏。所属していたバスケットボール部の引退試合の時だ。
「ここで入れていれば」「ボールを止められていれば」とかではなく、あの時たったの一言が言えなかったこと。
その後悔が4年経った今でも頭の中で繰り返される。
よく、友達同士で「戻れるならいつに戻りたい~?」という会話をすることがある。私は決まって「ないかな~。」と答える。本当はあるのに。きっと話すと楽しい会話ではなくなってしまうから。
私は隠すことしか出来なかった。
でも本当は4年前の夏に戻りたい。
これは紛れもなく私の本心だ。
自分の意見を伝えることがニガテな性格が裏目に
夏と言えば甲子園、後輩たちの試合情報。
夏が3年生にとって最後の試合になる部活が多く、
その度に輝かしい思い出と共に思い出す。
「たくさん走ったな~」とか「試合でたくさん怒られたな~」とか色々あるけれど3年間一生懸命出来たことは何にも代え難い経験となった。
しかし何にも代え難い物は輝かしいものだけではなく、もう戻ることのできない後悔を生むこととなった。
「自分の意見を人に言うこと」
それが私には出来なかった。人を信用していないのではなく、自分を信じ切ることが出来なかったのだと思う。
それに加え、相手に何か伝えることで関係が悪くなったり問題が起きるのではないかと思うと、何も言わない方がいい。段々とそう考えるようになった。
遡ると私は小学生3年生の頃転校してきた、いわゆる転校生だ。転校した当初は初めましての人だらけだったけれど、私は上手くやっていける、そんな自信があった。
しかし、過ごす日々の中で自分を出しすぎてはいけないことも学んだ。
私はやりたいことがあればすぐに周りを巻き込んで行動に移すタイプであったが、仲のいい友達から「〇〇ちゃんが自己中心的だって言ってたよ」と伝えられた。第三者からの言葉は妙に身体に染み渡る。
例え、誰かの為に行ったことであっても嫌な思いをする人もいるということを知った。
その言葉は今でも鎖のように巻きつけ解く方法すら分からなくなっている。
そして中学生になると、市内でも厳しくて有名な先生がバスケ部の担当をすることとなった。
努力の方向性も「上手くなる為に」のはずが、「怒られない為に」へ変わり、毎日泣きながら行っていたのを今でも覚えている。当時の私は、従わなければ酷い目に合うと思っていたのだ。
きっと自分を守る為に必死だった。
そうして、鎖のように巻きつけられた言葉と共に自分を守り続けた私が出来上がっていったのだ。
しかし、日々の積み重ねは必ず結果に出る。
それはいい意味だけでなく悪い意味でも使われることを知った。負けたら引退、バスケ生活全てをかけた最後の大会の日にその意味を知ることとなった。
最後の大会、チームのためにコーチに進言する勇気が持てなくて
私は最後の大会に臨むまでチームメイトと共に対戦相手の研究を何度もして日々作戦の精度を高めていった。
しかし試合当日にコーチから言われた作戦は、チームメイトで考えた作戦と違うものだった。
自分たちで時間をかけて決めたことが一瞬で消された。けれど咄嗟に「あの、一ついいですか?」という勇気が出ず、「もう試合に出るな」「勝手にやれ」とコーチから言われるのではないかという嫌な思考が頭の中で巡り、何も言えず「はい」と受け止めてしまった。弱かった。
相手は県大会常連校。試合開始直後、点差はすぐに離された。
しかしチームが追い込まれたその時、初めてコーチとチームで考えた作戦が合うこととなった。
その後、今までの点差が嘘のように縮まった。
でも、もう遅かった。終わりを告げるブザーが会場に鳴り響いた。全てをかけた試合が終わったのだ。
負けたことはもちろん悔しい。
でもそれよりもあの時、勇気を出して自分の意見を言えなかったことが悔しい。
伝えることが怖いと思ってしまったことが悔しい。
あの時の言えなかった自分の残像が嫌というほど残る。
「後悔先に立たず」まさにその通りだった。
悔やんでももう二度と戻ることは出来ない。
あの時必要だったのは、人として向き合う姿勢
けれど私はあれから考える。
大人だから、コーチだからではなく
人としてちゃんと向き合う必要があったのだと。
もちろん4年経った今でも目上の人ほど言いにくいことは沢山あるし、目上でなくても「言わない方が何もなく終わるからいいや」と思ってしまうことも多々ある。
けれど、私はあの日から大事な人だからこそ向き合い、伝える時はしっかり伝える必要があると学んだ。
人と人は支え合って生きて、生かせてもらっていて。
色んな人がいて、その分色んな道があって、それぞれの価値観があって理解し合うのには時間がかかる。
けれど自分から逃げないでほんの少し勇気を出して寄り添ってみる。受け止めてみる。
そして自分の意見を伝えてみる。
そうすることで何かが変わるかもしれない。
例え人は変わらなくとも、確実に自分の心は変わっている。
いつの日かあの夏に感謝したい。
今年もやってきた、一年に一度限りの夏。
今度は自分ではなくて
人を守ることのできる自分になりたい。