私は実母を知らない。2歳から14歳の12年間東京の児童養護施設で過ごした。私が普通でないことはすぐにわかった。クラスメイトの話はいつも家族で週末でかけた話メールでのやりとりの話ばかり。提出物の印鑑は施設長の苗字で私の苗字とは異なるしそれをみたクラスメイトは躊躇なく質問攻め。そんな私でもそこそこ友達ができたが高学年になり実父が会いにきた。突然現れた父の胸に疑うことなく飛び込んだのは今でも昨日のことのように覚えている。それからは父と定期的に会うようになり誕生日にはディズニーランドに連れて行ってくれたりとそれまでの時間を埋めるように楽しく過ごした。中学2年生になると施設をでて父に引き取られ転校しいわゆる普通の家庭になり地元に戻るまでの5年間は本当に沢山の人に出会い温かく優しい思い出ができた。学生のうちは遊んどけというけれど本当にそうだと思う。放課後集まって他愛のない話を永遠にするのが好きだった。春は桜をみながら暖かい空気に包まれ優しい気持ちになり夏は近くのアイス屋さんに自転車を走らせ、秋は紅葉をみてインスタ映え用に写真を撮り続け、冬はスクールバスにのって曇った窓ガラスに落書きしたのも全部友人がいたから楽しかった。何をするかじゃなくて誰とするかが大事だ。学生生活もそこそこ楽しんでアパレル業界に就職した。
私と彼との出会い。積み重ねた日々。
彼は私をナンパしてきた人の友達だった。いわゆる友達の友達。2人とも東京から帰省していただけだったからお互いの友達をよんで会ったその日は連絡先も交換せず名前すら覚えてない。最初で最後だと思うその程度だった。でもその数ヶ月後に友達を通じて彼から久しぶり、おぼえてる?と連絡がきた。彼と連絡をとりだした数ヶ月後に東京に行く予定があったから彼と会う約束をした。2人で初めて行ったのはお台場のチームラボ。やっと彼に出会えた日は緊張より前から知っていたような不思議な居心地だった。私はすぐに彼に惹かれていった。彼の顔も雰囲気も聴く音楽も話す言葉にも。夜になりお台場海浜公園でどちらからともなくキスをした。さっきまで聴こえていた海の波の音が聞こえなくなった。その日の帰り道に彼から来月帰省するから函館に行こうと言ってくれた。
彼と出会えたことが奇跡のように感じた。
そしてすぐに函館旅行の日になり何週間ぶりに会う彼の隣はやっぱり居心地が良かった。彼と見た函館の夜景は一生忘れない。大きく綺麗な夜景を見て大勢の人がいる中で彼と出会えたことが奇跡のように感じた。次の日札幌に帰る車の中でふと彼とならずっと一緒にいられると思った。その時彼が私とだったらずっと一緒にいられると言ってきた。驚いたけど運命を感じた。長い帰り道で寂しさと同時に涙がでてきて彼にバレないように泣いた。私の家についたけれどお互いに離れようとせず結局私の仕事の時間まで一緒にいた。その時に私は彼に気持ちを伝えたが、誰かに想いを伝えるのは初めてのことだった。彼は東京に帰るまでの残りの数日も私と一緒にいてくれた。仕事終わりに迎えにきてくれて近所の夜景を見に行ったり、ご飯を食べに行ったり気持ちは溢れるばかりだった。でも彼の答えが聞けないまま彼は帰ってしまった。その日の夜電話をしようと言われてそこで付き合ってほしいと言ってくれた。私は初めて想いを伝えて通じたのが彼で嬉しかった。
遠距離恋愛で深めた思いと、すれ違い
そこから半年間遠距離恋愛をした。彼に会いに行く飛行機の中で何度胸が高鳴ったか、帰りの飛行機の中で何度声を押し殺して泣いたか。その度に彼への気持ちが本物だと痛いほど実感させられた。半年の遠距離恋愛を経て私は関東の店舗に異動した。私は彼と会いやすくなるのも嬉しかったが彼はいつも自分のためだけに選択しないでと私に言った。その言葉は最高で最低の言葉だった。でも私は店長になる為の経験として来たのであって彼の為だけに来たのではない。だから私は必ず店長にならなければいけない。彼の言葉は私を鼓舞した。彼は週末私の家に来てくれ時間を気にせず何度も同じ時間を共にした。しかし2人の時間は短かった。まだ学生で無限の可能性があり沢山の道が選べる彼と既にひとつに決めて真っ直ぐしか進めない私の違い。そして育ってきた環境も大きく2人の関係を遠ざけた。私は彼の可能性を潰したくないが女として彼との未来を見たかった。いつまでも夢を追いたい彼を待ち続ける純粋な心は持てなかった。好きだけじゃやっていけないとはこういうことなのだろう。結局彼から別れを告げられ私達は終わった。彼と出会うまで数多くの人と時間を共にしたが彼以上に居心地が良く心から求めた人はいなかった。今も彼の嫌いなところが見当たらない。合わないところも全部好きだった。こんな素敵な人にきっとこの先も出会えないだろう。彼と別れてから今日まで思い出さなかった日はない。いつまで私は彼を想い続けるのだろうか。いつまで私は恋人ができる度これが本当の愛だと思うのだろうか。私はこの先も彼だけをみていたいと思った。しかし彼には理解してもらえなかった。その繰り返しをあと何度繰り返したらいいのか教えてほしい。身も心も削る恋なんて二度としたくない。私はこれからも長い時間をかけて自問自答するだろう。
大切なのはどんなことがあっても私は私を愛することをやめないこと
家庭環境次第で人の大体の性格ができてくると何かで聞いた。確かにそうだと思う。幼い時から複雑な家庭環境で育った私は愛されていないんだと死んでしまいたくなるほどトラウマになっている。誰かを愛したいと思っていても純粋な心で愛せたことがない。しかし愛に飢えているところも人を純粋に愛せないところも家庭環境がコンプレックスな私もそれら全て私なのだ。大切なのはどんなことがあっても私は私を愛することをやめないことだ。