大久保遊花(私)死亡説が度々浮上する。勿論、私は亡霊でも闇の組織の一員でもない。死亡説が流れる原因は私が教育機関やアルバイトを卒業した後で何の兆候も示さず、パタリと連絡を絶つからだ。
不意に真っさらになりたくなる衝動に駆られるこの癖を私は"人間関係リセット癖"と呼んでいる。安定に不安定を覚え、不安定に安定を感じる性は母譲りだ。

私は母の中のダムが決壊を迎える瞬間を幼少期から隣で見ていた。メールアドレスを変えるだけなら私と同じだが、母はガラケーを偶然を装って踏んづけ、真っ二つに割ったり、部屋の模様替えと同じテンションで引越しを繰り返した。連絡先を変えても家を変えても母が生きてきた履歴はリセットされない。それでも大切にするべきもの、慎重になるべきものを捨てた瞬間、生まれ変わったような爽快感が私たちを癒す。ただ持続時間は短い。自業自得の虚しさが襲ってくるし、また何度でも生まれ変わりたくなる。
人間関係リセット癖に逆らうと母も私も壊れてしまうらしい。元々TwitterやInstagramで知り合いとは繋がっておらず、街中でばったり出会さない限り私は行方知らずだ。もし繋がっていたとしてもその都度アカウントを消すだろう。

例外はお互い住所や電話番号を知っている親友だけだ。だから親友のところに「遊花の連絡先、知らない?遊花は今何やってるの?」とよくお問い合わせが来るらしい。私は「適当にはぐらかしておいて」と頼み、親友はこの傍迷惑なお願いを律儀に守ってくれる。
初めて親友が「遊花死亡説出てるよ」と教えてくれた時は一緒に爆笑したものだ。刑務所説、海外逃亡説(留学とは違うのだろうか)、闇落ち説、駆け落ち説もあったらしい。

自分の癖のせいで傷つけてしまう人もいる・・・

大学に入って早々、この癖で沢山の人を傷つけていたと反省する出来事が2つあった。
1つは、私が一方的に関係を切った人と校内でばったり会った時のことだ。その人は申し訳なさそうに話しかけて来た。私は内心"合わせる顔がないな"と思いつつ「おー!久しぶり!」となんて事なさそうに元気に応えたものだから相手は悲しみと怒りが混ざってやや泣き出しそうな顔になった。その後、誠心誠意謝罪したけれど気まずい空気が流れた。

もう1つは、何人かと友人の相談に乗っていた時のことだ。その人は友人と突然連絡がつかなくなったと悩んでいた。彼等はアクシデントに見舞われたか縁を切りたいくらい許せない何かがあったのだろうと結論付けた。私は人間関係リセッターの立場として「相手に不満がなくても連絡がつかなくなる人はいると思うよ。相手じゃなくて自分の問題で、勝手に人間関係に疲れたのかもしれない」と説明した。しかし周りからは「そんな人いるの?」「いたとしたら酷い」とぐうの音も出ない意見を貰った。更に悩みを持ちかけた本人を「遊花の言う通りだったとして結局私の事をその程度にしか思ってないってことじゃん」と余計に凹ませた。その後で、あの説明は私の行いで人を振り回してきたことへの弁解に過ぎないと恥ずかしくなった。

解放されたくなるけれど、自分にとっては大切な存在

けれど彼等に話したことは紛れもない本心だ。相手が嫌いになったわけではない。むしろいい人だし、好きだ。なのに繋がっていることが苦手な私はLINEの友だちが増えるとどうしようもなく鬱陶しく感じ、大抵の人とは遊んだ帰りに平日より疲れがどっと出て、コンビニスイーツを爆買いしてしまう。
その原因は私にある。意識する間も無く相手が望む私を演じて気疲れし、それが散り積もってある日唐突に全ての人間関係から解放されたくなるのだ。
友人が100%の善意で口にする「遊花は優しい」「憧れる」や先生からの一目置かれた評価に「私、全然そんな子じゃないよ!」と叫びたくなる。ボロが出てそのイメージを壊してしまったらがっかりされるに違いない。その顔を見るのが怖くて、失望されるくらいならその前に姿を消した方がマシだという思考になる。私にとって期待は重荷でしかない。私と関わるそれぞれの人が心のどこかで望んでいる大久保遊花像が重なるほど、その交差点にいる私はぐちゃぐちゃに塗りつぶされて、自分を見失いそうになる。だから私は自分を保持するためにリセットをしてきた。

連絡が取れない状況になっても私は昔よく遊んだ人やクラスメイトをしょっちゅう思い出す。背伸びをしたって素を出せなくたってその中で生じた感情や会話は本物だからだ。
その場限りの友人も私にとっては大切な存在である。面倒だ、億劫だという気持ちをひた隠しにしてずるずる関係を続けるくらいなら、消息不明の相手との思い出に時々浸り、元気にしているかな、元気だったらいいなと願うくらいが丁度いいと思ってしまう。周りからすればいい迷惑だけれど。

傷つけないようにするために作り上げるいくつもの外堀

私はそれから人とあまり親しくならないよう気をつけるようになった。一時はLINEしていない設定にし、人と近づくツールを遠ざけた。メールや電話を使ってまで私と仲良くしたがる人はぐっと減るからだ。これで後々泣かす人は少なくなるけれど新しい出会いを避け続ける人生なんて寂しすぎる。

なので最近は相手が求める人間像を把握し尽くす前に小さな破壊をする。ほかほかご飯入りの炊飯器をうっかり一週間放置していた話をしたり、意味不明な即興ソングを披露したり。外面を小さく破壊した時、相手の顔が引きつるか、はたまた面白がってくれるかで相手も私も今後仲良くなれそうか、判断材料になる。

そして連絡先を交換した人には人間関係リセット癖を打ち明けるようにした。理解されなくてもいい。"コイツ最低だな"と思われてもいい。急に疎遠になった時、"何かあったのかな。嫌われたのかな"と心配され、自責されるより"どうせのうのうと生きているんだろ"と憎まれた方がお互いのためだと思うのだ。会っている時は良い顔をして、いきなり消えるのはやはり虫が良すぎた。

自分を守るためには距離を取るしかないと、わかってもらえたら

私のように"何か事情があるんだろう。縁があればまた会える"と楽観的に折り合いをつけられる人は少数派で、裏切られたと失望する人がほとんどだと頭のどこかでわかっていたくせに、自分が傷つけた人の顔を直接見るまで繰り返し続けた過ち。いい加減に終わらせないといけない。

その中で人間関係リセット癖を軽々了解してくれる人もいる。そういった人とは大体いい関係が続く。彼等には脱帽だ。都合の良いときだけフラフラ現れる私を「スナフキン」と形容して笑ってくれて、プラス思考で詮索しない。私を決めつけない。富士山みたいにでっかい心の持ち主だ。(或いは私と同じくらいどうしようもない人間)

絶縁されたと気を病んでいる人に私みたいな人間関係リセッターもいると伝えたい。
あなたが原因ではないかもしれない。言えない理由があったのかもしれない。
それでも姿を消した相手を想うなら元気でいてほしいと願うだけで充分、想いは伝わる。