私は14歳の時、児童養護施設に入れられた。
家族構成は母と父、兄妹が5人の7人家族で
私を軸に一歳上の兄、二歳下の妹、六歳下の弟、そして十二歳下の妹がいる。
既に察した方もいるかも知れないが
私を含め上の三人は、この父と血は繋がっていない。
私が七歳の頃、この父になった。
父は長距離ドライバーなので週一回家に帰ってくるか来ないかだった。
私の母は仕事が出来、愛想も良く、かつ容姿も若く見える方なので周りの人からの評判はすごく良かった。特に私の友達からはノリが良く若いお母さんで羨ましいとさえ言われていた。
一方、家の中ではというと
家事は、ほとんど私達子供の仕事になっており
母は夜遅く仕事から帰宅する。その際に、ご飯の下準備や洗濯などの家事が終わっていないと叱られるのは当たり前。一番下の妹の面倒を見るのも機嫌が悪く理不尽な事で怒られるのも、手を挙げられるのも、学校で提出するプリントの保護者名を私達子供が書くのも当たり前。
朝起きると母は寝ている。その為、朝ご飯の文化が無いのも給食がない日のお弁当を作るのも
そして、あまり家に帰ってこれない父が、この環境を知らないのも当たり前だった。
ある日母は帰って来なくなった。
今となっては異常に思えるが、当時の私にとって当たり前の生活を繰り返している中、ある日母は帰って来なくなった。
その流れで私達、上の三人は児童養護施設へ入る事に。
私は今まで仕事で忙しい母を、自分なりに一生懸命支えてきたつもりだ。それが一瞬にして裏切られた気持ちになった。
周りから見ると普通の環境と母親では無かったと思うが私は仕事を頑張り、そして時々優しい母の事が大好きだった。良くある、将来お母さんみたいなお母さんになりたいとも思っていた。大好きだったからこそ耐えてこれたし、大好きだったからこそ許せ無かった。
母からの思ってもいない返事に怒りと悲しみを抱いた
施設へ入所すると私が今まで置かれていた環境と母親が、世間一般の普通とは違うということを知った。今まで普通と思い生きてきた世界は異常だったのだと。
それから少しして、母と面会する機会が一度あった。久しぶりに見る母は少し老けて見え、悲しいような、自業自得なのかなという複雑な気持ちだった。
私は今までの不満を訴えかけるかのように
「お母さんは朝は起きないし、妹の面倒も家事も、お弁当も作ってくれなかった。母親の仕事をしてくれなかった」と。
母は「そんな事ない」と反論をしてきたのは覚えているが、そこからの記憶は定かではない。
ただ私は、ごめんね。など私に寄り添った返事が来るとばかり思っていたので、思ってもいない返事に怒りと悲しみを抱いたのを覚えている。何故分かってくれないの、じゃあ今までやってきたことは誰の為?何の為だったのと。
仕事を始めて初めて知った、母の苦労。
それから私は社会に出ると共に一人暮らしをして六年。仕事をしながら一人で生活をする事の大変さを身をもって知った。
昔の母を見ている時は仕事の大変さも分からず、朝になっても寝ている母をだらしない、や理不尽に怒り手を挙げてくる母に嫌気が差していた。
だが一年、更に一年と
一人暮らしと仕事の月日を重ねる毎に私の中で思ってもない気持ちの変化が。
最初の三年こそ母をずっと否定してきていたが仕事をして、こうして一人で生活するだけで精一杯なのに、ここに私達5人分の育児、家事が加わると考えただけで恐ろしい。
それに私の父は、ほとんど家に帰って来れなかったのでワンオペ状態。仕事や日頃の愚痴をを共有したり、弱音を吐いたりと頼れる父がすぐ側にいない。
そのことが今思えば、どれほど精神的にも体力的にも大変で心細かったのだろうと思う。
優しくする余裕も自分の感情のコントロールの余裕も無く、もう限界だったのだろうと。
そして、あの時掛けた言葉に対して謝り、母の放つ言葉に寄り添いたいと思った。
勿論、施設に入れられた事やその他許せないことはあるがそれは別として。
もう母とは十年近く会っていないが、もし次会う機会があれば今度は私から寄り添おうと思う。