今回はこんなに素晴らしい対談の場をいただき、心から感謝しています。

私はフェミニストであることに葛藤を抱いていました。

葛藤というのは、自分は完璧なフェミニスト(私が思うに100%自立していて一切男性に頼らない女性)じゃないし今後もなれる気がしない、そんな私でもフェミニストを名乗って、フェミニズムを勉強し続けてもいいのか? という葛藤です。あのエッセイはそんな葛藤をどうにかしたくて、彼氏の申し出を素直に受け入れたい自分を受け入れたくて書きました。

葛藤を解決する糸口は彼氏と話すことだと薄々分かっていましたが、あのエッセイを彼氏に見せようという気にはならなかったです。エッセイを書いていることも話してません。彼はジェンダーには興味がないだろうし、彼に往々にして奢ってもらったり荷物を持ってもらったりしている私がフェミニズムについて彼に語る資格はないんじゃないかと思っていたからです。

私、バッドフェミニストでいいんですね、と気付かせてもらいました

今回の対談で、エッセイを彼氏に見せられない理由について、一緒に考える機会をいただきました。そこで教えていただいたのは、自分自身に「私は完璧なフェミニストじゃないから」という呪縛をかけていたことです。

皆さんは、「バッドフェミスト」を知っていますか?

バッドフェミニストとは、彼氏もいるしメイクもするような、私たちが想像する「正しい」フェミニストではないけれど、フェミニズムを志向する人のことを言うそうです。私、バッドフェミニストでいいんですね、と気付かせてもらいました。そして、バッドフェミニストの私でも、彼にジェンダーについて知ってもらうことには意味があると知りました。なぜならジェンダーについて考えることは男性にも必ず良い影響があるからです。私がフェミニズムを学んだことで、今まで当たり前だった「女らしさ」の押し付け(例えば「女なのに料理も洗濯もできないの?」と言われたり、飲み会で気軽に足を触られたりすること)に違和感を覚えることができたように、男性がジェンダーについて知ることは今まで認識していなかった「男らしさ」の押し付けに気付くことに繋がります。私も彼も、完璧じゃなくていいからジェンダーについて知って、もっとよりよい生き方があるんじゃないか? と、とにかく考えてみることが大切なのですね。

「私が勉強しているジェンダー論というのはね〜」と彼に話してみたくなりました

完璧さにこだわらなくてもいいと気付かせてもらったおかげで、「私が勉強しているジェンダー論というのはね〜」と彼に話してみたくなりました。彼とジェンダーについて話し合ってみて、彼自身も今まで「男らしさ」に捉われ苦しんでいたんじゃないか、ということを認識してほしいと思ったのです。その結果、今まで私が彼「女」だから彼に良くしてもらってたことが改まってもいいと思います。「男だから」と私が無意識に押しつけていたことがあったのか、彼に聞きたいです。社会を変えるのは大変だけれど、せめて私たちだけでも私たちらしく生きていくことから始めたいです。

ということで、『ジェンダーについて大学生が真剣に考えてみた』と私のエッセイを、彼と一緒に読むところから始めようと思います! こんな考え方になるとは、対談をする前には夢にも思ってなかったです。

最後に、御三方を含めジェンダー論を研究されてきた先人の方々を心から尊敬しています。ジェンダー論はどんな人の人生もより良く変えられる学問だなぁ、と今回の対談で切に感じました。エッセイの最後に書いたこの言葉をもう一度、繰り返させてください。「ジェンダーによって選択肢を諦めることがなくなり、どんな選択肢を選んでも尊重される。それが今後の社会のスタンダードになりますように」