私は嫌なことがあると、他人にその体験を笑い話で、時には話を少し盛ったりして、語ることがある。嫌な体験をして心が傷ついている時は、とてもじゃないけど饒舌に語ることなんて出来ないし、不眠や食欲不振と、何もやる気が起こらない状態が続く。
じゃあ、なぜ笑い話にするのか、私は湿っぽく不幸話をしたくないからだ。
辛い体験でもネタにして、自分の心が少しでも楽になれば…
私はそのような笑い話を“ネタ”の一つとして、相手に喜んでもらおうとスタンドアップコメディアン(マイク一本で漫談をする欧米で人気の芸人達)の様に話すことがある。当然、話を聞いた人は「え、超おもしろい!」「そんな嫌な奴に出会うの?私なんてないよ」「どうしてそんな嫌な奴とか変な奴に会うの?!」と驚きを交え楽しんで聞いてくれる。
ある男性ライターの友人、飲み会で話のネタの一つとして、私の体験談を話しているそうだ。また、ある男性は、私から連絡があるとその笑い話にネタが増えたと考え、喜んで会いに来てくれる。しかし、その話があまり彼にとってつまらない話だと、途端につまらない顔をし始め自分の話を長時間話す。
私は辛い体験を笑い話にすることで、自分の心が少しでも楽になれば、そして相手も暗い話に気負いしないようにと意識的に漫談風にしていた。しかし、話を聞いてくれていた相手から「面白い」「ウケる」「どうしてそんな体験ばかりするの」なんて言われると実際自分の心は救われていないと気付く。
私がドイツ留学をしていた当時、シェアハウスに一緒に住んでいたアルコール依存症のハウスメイトとの仲が一気に悪くなった際、私は住んでいる家からすぐに非難したくて、何人かの友人や知り合いに連絡を試みた。真っ先に連絡する相手として思い浮かんだのは、私の笑い話の良し悪しで、つまらない顔をする日本人男性であった。彼は私の事情を知っているうちの一人だ。しかし、この問題を笑い話にしたせいか、彼から「こういうことはよくあることだし、自己責任だろ」ときっぱり言われていた為、相談するのを諦め、事情を全く知らない別の友人に家で匿ってもらった。
本当は楽しんでもらうだけじゃなくて、共感してほしかった
笑い話にすることで得たことは、自分はいまだにその辛い経験を“少し”引きずっていること。そして、人にその話を楽しんでもらうのではなくて、本当は共感してもらいたかったということだ。
例の日本人男性とは、それっきり連絡することを止め、互いに登録していたSNSの類も私から相互解除をした。彼が私に直接何か酷いことをしたわけではないが、私の辛い経験をただ聞いているのが楽しいだけであって、それ以外の関わりはないと感じたからだ。
私は、本当に辛かった経験は人に話さない。自分でも笑えないほど、嫌な経験だからだ。だから実際何をされて、なんでこんな辛い気持ちになったかなんて、思い出せないほど記憶も感情も心の深い底に押し込んで、わざと思い出さないようにしているかもしれない。
笑い話に出来る実体験は確かに嫌だったけど、コメディとしては笑えるし、もうこの先、彼らに会うことはないし、それ以前に何されたっけ?あの人達名前なんだっけ?ってなるぐらいなので、今は“少し”引きずる程度だからだ。
笑いなし、心の中のモヤモヤ、少しでも共感してくれたら嬉しい
しかし、笑い話にすることによって、築けたはずの良い人間関係もあったのではないかと考えることもある。高校から長い付き合いの友達に笑い話をすると「うわっそいつ器が小さいだけ、梅も大変だったね」その一言だけで、私は話して良かったと気持ちが救われるのだ。
そして、私は今自分のモヤモヤを文字にして書き起こしている。パソコンに向かって文字を打つなんて、大学の卒業論文以来だ。この『かがみよかがみ』で読んだいくつかのエッセイに「わかるわかる!」と、日々共感している。
だから私も微力ながら、自分のモヤモヤを少しでも共感してもらえる人がいたらと笑い話なんて含まないエッセイを書いてみる。