この世で一番難しいことは、あきらめることだと思う。少なくとも私にとってはそうだ。特に、どんなに努力しても結末を変えられないとき、自分の力が全く及ばないとき、それをあきらめることは、とてもとても難しい。
私は21年生きていて過去に2度、あきらめなきゃいけなかったことがある。
誰のせいでもないから消化不良のまま「あきらめる」のは難しいよ…
1度目は、昔めちゃめちゃ好きだった人への思いを絶たなければならなかったとき。2年間も片思いをしてグズグズしてたら、相手に恋人ができてしまった。我ながら間抜けなオチだったが、当時は毎日泣いて夜を明かすくらい私にとっては深刻な悩みだった。
恋愛は正直いって苦手だ。勉強とちがって、頑張った分だけ結果がついてくるとは限らない。私が、彼と彼の恋人が出会うずっと前から彼のことが好きで思いを募らせていても、そんなことは全く加算ポイントにはならない。相手からすれば「だから何?」という話である。むしろ失恋した後なんて、頑張れば頑張るほどみじめな思いをしてしまったくらいだ。好きな人に恋人がいるとわかっているのに、一緒に過ごせるだけで嬉しくて、少しでいいから自分を見てほしくて、彼の愛読書なんて読んでしまって。それでもやっぱり彼の目には自分なんて映っていないと思い知っては、どん底に突き落とされる。だけど、それでも悲しいくらい好きで、未練タラタラのループから抜け出せない。「あきらめる」の方法がわからなくて、時間が胸の痛みを和らげてくれるのをただ待つしかできなかった。
2度目は、長年の夢だった留学を途中で断念しなければならなかったとき。新型コロナウィルスの影響で、私は1年の予定だった留学生活を半年で切り上げて帰国することになった。現地の危険レベルが上がってしまい、帰国しなくてはいけなかったからだ。だけど、最初は上手くいかなくて悩んでいた留学生活もやっと軌道に乗ってきて、翌月から新たな挑戦も始める予定になっていたのに。やっと友達が増えてきて、まださよならなんて言いたくないのに…。そんなわがままを言っても、圧倒的な不可抗力の流れの中では何かできるはずもなく、結局は「しかたない」と納得するしかなかった。
誰が悪いわけでもないし、私が何かを怠ったとか頑張れなかったせいでもない。だけど、「しかたない」で終わらせられないから「やるせない」という気持ちが存在するのではないだろうか。大好きだった街を逃げるように去った、あの日の最高に孤独な気持ちを思い出すと、私はときどきフリーズしてしまう。古傷が痛むボクサーってこんな感じなのだろうか。誰にもぶつけられない、自分のせいにもできない思いは消化不良のまま私の中で歪となった。
免疫力を高めれば、ウィルスやあきらめることに強くなるのかな?
自分の努力じゃどうすることもできないこともある。例えば一度手遅れになってしまった後に人の気持ちを変えることとか、パンデミックのような人類未曾有の危機襲来とか。だけど「あきらめよう」と、口に出して決めるのは簡単なのに、心がそれを理解するのは何て難しいことなのだろう。
高校生活最後のインターハイや甲子園、留学や春先に挙げる予定だった結婚式…。今回コロナウィルスの影響で、私や私の親しい人たちだけでなく、本当に多くの人たちが「あきらめる」ことをしなくてはいけなかっただろう。夢だけではなくて、もちろん仕事や学校生活など日常を手放さなくてはならなかった人も数えきれないほどいるだろう。私があきらめなければならなかったことなんてちっぽけだが、彼らの痛みを想像するとやりきれない思いになる。
もっと大人になったら、上手にあきらめる方法がわかるのだろうか。ウィルスに免疫がつくように、心の痛みに免疫がつく日が来るのだろうか。たとえそうだとしても、今の私はやっぱりあきらめることは嫌いだ。そして、これからの人生でそういう決断をすることは極力避けたいと切に願う。
だからそのために私は、努力でどうにかなる問題ならめちゃくちゃ頑張って結末を変えてみせたい。私は私の人生をあきらめたくない。思い描いた未来にできるだけ近づけるように、「あきらめる」以外の道を自分に残したい。それでも、頑張ってもどうにもならなくて、泣く泣くあきらめるという決断をすることもこれからたくさんあるだろう。恐ろしいことに、そういった出来事ほど、人生に大きな意味のあることだったり、自分に大きなダメージを与えたりすることが多い気がする。
辛くて悔しくてあきらめきれないのは、自分が本気で生きてきた証拠
あきらめなきゃいけないとき、折れてもすぐに立ち直って、ちゃんと歩き始める人もたくさんいるのだろう。私もそういう人を強くていいな、立派だなと思う。だけど同時に、しっかり落ち込んでも別にいいんじゃないかなとも思う。少なくとも私は自分に「大人になれよ私。しかたなかったじゃん」なんて言えないし、言いたくない。
辛くて悔しくてあきらめきれないのは、自分が本気で生きてきた証拠じゃないか。それにたとえ弱虫だと言われても、悲しいときは悲しんだいい方がいいと思うのだ。だって自分自身にまで平気なフリをして嘘を吐き続けたら、一体私の心は誰に素直になれるというのだろう。
めちゃくちゃ落ち込んで傷ついて、いっぱいごはんを食べよう。これから落ち込んだ日は「自分に優しくする日」にして、それまで頑張り続けた自分に頭ポンポンしながら胸を貸してやろう。そうしてパワーを充電したら、またスタートラインに立ったとき、もっと遠くを目指してどこかへ走っていけるのではないだろうか。