私の就活は成功した。
でも私は、就職ができなかった。
“就職できなかった私”の烙印を自ら押して、苦しみもがいた夏。
同級生と比べて早く内定をもらった私の就活、とてもワクワクしていた
大学3年生の春。
私の就活は、サマーインターン選考を皮切りにスタートした。
スタートこそ戸惑ったものの、就活は比較的楽しくて「早く働きたい」とずっと思っていた。私は、今まで見られなかった“社会”の入り口が見られることにワクワクしていた。
当時の私は、人前で話をすることも、人に自分の魅力を伝えることも、みんなとコミュニケーションを取ることも、就活生の中ではそこそこ上手だったんだと思う。
結局私の就活は、大好きになった企業から内定をいただき、同級生と比べて早い段階で終了した。
それが、大学3年生の1月。私の就活は大満足で終わった。
私の頭に浮かんだ疑問を無視しつづけた…その代償は大きかった
大学4年生の夏。卒業まであと半年。
卒論準備や4年間続けたアルバイト、大好きなサークル、楽しみにしていた卒業旅行。
もうすぐ全部が終わって、私は就職するんだ。
私の中にネガティブな気持ちはなく、モチベーションに溢れていたはずだった。
でも、なぜかな。
「私は、OLになるためにここまで頑張ってきたんだっけ」
私の脳内で、定期的にそんな疑問が浮かぶようになった。
私は、その声に聞こえないフリをした。
しかし、自分の声を無視しつづけた代償は大きかった。
夏の終わりも近づいてきたある日。
私は初対面の内科医の前で、突然泣き崩れて「死にたい」と叫んだ。
精神科を案内され、診断されたのは“不安障害”という精神疾患だった。
私の場合は、人と話をすること、連絡を取ること、外に出ること、何かを約束すること、自分の行動ほとんど全てが怖くなって、その日以降何もできない日々が続いた。
「内定先にも、大学にも行けない。休学するしかない」
就職も卒業も、全部ダメになった。
でも、誰にも責められなかった。
周りの人がかけてくれる優しい言葉さえ、怒られて責められているように感じ「死ね」「君は無価値だ」と言われているように聞こえた。
初めて優等生のルートから外れ、私は自己嫌悪になっていた
そして、2016年。
就職する予定だったその年、私は大学5年生を迎えた。
多くの友人は普通に卒業し、普通に就職していった。
羨望や不安、嫉妬、疎外感、孤独感…。
誰にも仕事の話をしないでほしかった。
せっかく友達が心配して遊びに誘ってくれても、楽しめない自分ばかりが目立って、自己嫌悪は深まる一方だった。
「私には何もできない」
これまで、そこそこの優等生ルートを辿ってきた自分が、初めてレールから下ろされたことへの絶望感で、自分の立ち位置がよく分からなくなっていた。
「分からないけれど、分からないから、もう今は自分を解放してあげたい。就職できなくても、生きてみよう」
翌年、私は就職せずに、大学を卒業した。
私の大学の就職率は99%以上とか、なんとか。
高い就職率を自慢げに掲げていた大学で、まさか自分が1%に入るとは思ってもみなかった。
幸せの形や求めるキャリアを、一つに絞る必要なんてない!
あれからもう4年が過ぎた。
今の私は、会社勤めこそしていないが、それでも何とか働いている。
一度だけ正社員も経験した。
おかげで、会社員の凄さも苦しさも、“会社員”の枠組みで一括りにできないことも、身をもって知った。
時々、あの夏就活を終えた私が求めた「キャリアとはなにか」とふと考える。
たしかに、あのまま就職していたら、“大きな仕事”に挑戦する機会も、世間的に評価される肩書きも、手に入っていたかもしれない。
それは一つの幸せの形で、素敵な働き方だっただろう。
でも、私は決して不幸になったわけではない。
自分の中に少しのズレが生じたから、生き方や働き方、進み方を変える必要があっただけ。
その先で、違った形の幸せを手に入れることは可能だった。
幸せの形も求めるキャリア像も、一つに絞る必要はない。
誰かのために、何かのために、真夏にジャケットを羽織って会社に向かう人は、かっこいい。
ジャケットを脱ぎ捨て「暑いから」と素直に生きる人だって、かっこいい。
私は私なりに。
自分にできる仕事を、自分にできる働き方で。
時には半袖の袖さえ切り落とし、タンクトップで軽やかに、脇から流れる汗さえも気に留めず、ただ今を進みつづけたい。