三年前の春、新卒の私は人生のどん底にいた。
なぜなら、入社したばかりの会社を10日ほどで辞めていたからだ。
在籍していた大学はいわゆるFランクと言われるようなところだったが、自分なりにやりたいことを見つけて、就活も人よりも真剣にやって、上場企業の企画職になった。
違和感をしまいこんで、参加した内定後のイベントや研修。
内定後のイベントや研修を重ねていくうちに何かがおかしいと思い始めていた。でも、「こんなもんかな」「がんばらなきゃ」と全てを噛みしめ、春を迎えた。
入社後はすぐに、二泊三日の研修があった。そこは温泉地で、屋上には露天風呂と絶景付きだ。
研修の行われた会場は窓のない大ホールでは、自社以外にもリクルートスーツに身を包んだ他社の新卒社員が集められていた。
一日中大声を出すことを強要され、やっと研修が終わると、なぜだか夜中に集まって作業をしないと終わるはずのないグループワークの課題を出される。
日中の張りつめた空気の緊張が溶け、睡眠が削られていく中での夜の作業はそれぞれが追い詰められて余裕がなくなっていくのをひしひしと感じた。
今思えば、おかしいことだらけだった。いわゆる「洗脳研修」に来てしまったのだと私は気がついた。
なんとか研修を終えて逃げるように自宅へ帰りついた。
抱えた思いは、寝て忘れることにした。
すべてが始まると思っていたあの春、すべてが終わってしまったような気がしていた。
翌週、新人歓迎会があった。隣に座ったひとつ年上の女性の先輩が、私の目の前に座った課長に人格否定をされ続けていた。
つらいけれど、逃げることもできなかった。
その帰り道、電車で涙が止まらなくなった。
次の朝、起き上がることもできなかった。訳がわからないまま、病欠の連絡を会社に入れた。
それっきり、わたしが会社に出社することはなかった。
その後二週間ほどは夜いくら睡眠を取ろうとも、昼間はほとんど寝ていたような気がする。寝ていたことは事実だが、どうにもその期間の記憶があいまいな部分がある。
これから、すべてが始まると思っていたあの春、すべてが終わってしまったような気がしていた。
周りは新生活で働き始める中、自分のことを恥ずかしいと思ったし、何よりそれぞれが慣れないスタートを踏み出してきらきらときらめいている様子がまぶしくて、助けを求めることもできなかった。
気が付いたら、わたしは泣きながら、退職届を彼の家で書いていた。
わたしと同い年の彼も、そんな一人だった。
新社会人として順調に会社員生活に溶け込んでいく彼に、とても合わせる顔なんてないと思った。
恥ずかしさと迷惑をかけたくないという両方の想いで、会いたくない、と伝えてしまった。
人に会う気力もなかったし、とにかく、ほとぼりが冷めるまでは放っておいて欲しかった。
だが彼はそんなどうしようもない状態だったわたしを、表へ連れ出した。
気が付いたら、わたしは泣きながら、退職届を彼の家で書いていた。
何も言わずに、何時間が過ぎようと彼はただ隣にいた。
その日だけは、わたしの笑っている顔がすきだと言ってくれる彼の前で、たださめざめと泣き続けた。
笑い合って過ごせる今日。あのとき言えなかったありがとう。
あれから三年の月日が流れた。
退職後、次の就職先が決まり、順調に時は過ぎた。
あの時、もしわたしの決断を後押ししてもらえてなかったとしたら、
あの時、もしわたしの隣に彼がいなかったら。
確実に今のわたしはここにはいなかったよね。
今日のわたしたちは笑って過ごしてる。
あのとき言えなかったありがとう。
面と向かって言うのは少し気恥ずかしいから、めいっぱい、今日も笑おう。