私は怒鳴られることが苦手だ。それが自分に向けて、というのは誰しも苦手だろうけど、他人が怒鳴られている風景を見聞きすることさえも辛いものがある。
私は注意されることも苦手だ。注意されると、どうしても相手に嫌われたのではないか?と不安に感じてしまう。他人が私のミスをずっと根に持つ訳では無いということを頭の中では分かっているのに、注意されるとその人の顔色を伺ってしまうし、何より自分がミスを繰り返さないように頑張る目的が「他人のため」にすり変わってしまうのだ。
家族の喧嘩は「人を怒らせてはいけない」という意識を植え付けた
ある日、私はとあるドラマのワンシーンを見た。虐待のシーンだった。そして何故かそれが「作り物」であると分かっているのに恐怖や大きな悲しみに飲み込まれ、涙が止まらなかった。その後たっぷり4時間は泣き続けたのだが、その時ふと思い出したことがある。それは家族の喧嘩のことだった。
幼い頃、両親や同居していた祖父はよく喧嘩をしていた。大抵は、普段は優しくて口調も穏やかな父親が本当に突然怒鳴り始めて喧嘩が始まり、私は母親に自室に行ってなさいと送り出され、怒鳴り合う声や父親によって投げられた椅子や食器が壊れたり、割れたりする音を聞きながら一人、暗闇の中で怯えていた。
今更父に対してどうしてくれる、と責めるつもりは無いが、今でも父の逆鱗に触れることがないように、ほんの少しの怯えた心が同居している。
人よりも少々感受性が高いきらいがある私にとっては、それが目の前で繰り広げられていなかったとしても「人を怒らせてはいけない。人に嫌われてはいけない」という意識を植え付けるのには十分過ぎるほどだったと思ってしまう。
父は、どうして私と向き合ってくれなかったの?
虐待のシーンを見て涙も止まらず、悲しみが終わることもなく、まして原因であろう家庭環境のことなど誰にも話すこともできず、私は何を血迷ったのか母親に電話をかけた。夜9時のことだった。
母はすぐに電話に出た。ボロボロと事情を話すうちに私はいつまで経っても幼い自分に苛立ちを覚えたし、誰にも言えない自分の孤独に立ち向かう羽目になって更に悲しみは増大した。
2、3年前くらいから母とは昔はこうだったよね、と喋ることができるようになり、その内容には勿論喧嘩のことも含まれていた。そして私は母から、謝られた。母にとって初めての子育てであったし、私も初めての人生だ。その時お互いに悩んでいたのだなと分かって、同時に安心もした。おかげで母のことはちゃんと好きなままだし、色々あったとはいえ私の大事な母だ、と今では胸を張って言える。
電話をする中で父と話さないのは不自然だからと母は父に電話を代わり、適当な嘘を混ぜて事情を伝えてくれた。全くいい母である。
父は、私のトラウマを作った張本人の父は、こう言い放った。「朱は宝物なんだよ」と。言葉にはしなかったが、私はとてもモヤモヤした。宝物なら、どうして私を怯えさせるような真似をし続けたの?どうして私と向き合ってくれなかったの?
あの喧嘩は罪無き虐待だったのだろうか。それとも、私が弱いだけ?
喧嘩を子どもの前で見せることは精神的な虐待にあたる、と何処かで聞いたことがある。直接手をあげられた事はない。それに父にも事情があったし、私も感受性が高い性質の持ち主だ。何度も行われたあの喧嘩たちは果たして私に対する両親たちの罪無き虐待だったのだろうか。それとも、私が只々弱いだけ?
私が人の態度に怯えながら生きるようになったことは今から変えようと思っても難しい行動の基底にあるものだ。私がこの呪いから解放される日はいつになるのだろうか。王子様など待たずとも、自らを救い出せるようになるために、今日も私は悩み続ける。