私が小学校5年だった冬、母が亡くなった。

その日、学校から帰ってくると母が脱衣所で倒れていた。「誰かにやられた…?」当時から友達や親の影響で本を読みまくっていた(特にミステリー)私はとっさにそう思い、警察を呼びそうになった。あれ警察って110だっけ、119だっけ?私は少しの間迷って、「やっぱり救急車か」と思い、119を押した。脳裏には、教科書の図が浮かんでいた。今考えても私はこれほどまでに授業の知識を使ったことがない。
それからは、救急車が来るのを一人暗い部屋でじっと待った。到着後、母の死亡が確認された。そう、そこから私はお母さんのいない子になった。

「私は気を張ってなどいない、すこぶるいつも通りだ」

父はサラリーマンであり在宅勤務ではなかったため、連絡手段として携帯電話を買ってもらった。もともと12歳になったら買ってもらえる予定だったのに。

後日小学校ではクラスメイトに担任が伝えてくれた。その時私は別室に連れていかれたのだが、連れていってくれたクラスメイトから「大丈夫…?」と聞かれた。何のことかわからなかった私は「うん」と答えていた気がする。まあ何のことかわかったとしても「うん」と答えていただろう。だって「大丈夫」だから。

母が亡くなってから毎日のように家電が鳴りっぱなしの日々が続いた。それを父が取って「娘はちゃんと気を張って学校に行ってます。休んでも良いよって言ってるんですがね」と言っていた。その時私は感じるのだ、「私は気を張ってなどいない、すこぶるいつも通りだ」とね。そうそれが「大丈夫」ということ。お母さんがいなくても私は生きてるし、フツーに学校に行ってる。

母のことを話したら雰囲気が壊れてしまうのではないか

そして、時は過ぎ大学生となった。地元から離れたところに通っているため、知り合いはほとんどおらず、勿論のこと母のことを知っている人もいない。

大学の友達と最初はお互いの話をするほどではなかったが、だんだん仲良くなっていくと、冬の受験シーズンになり自分の受験の話をするときが訪れる。そんなとき大体はどんな家庭だったかといったお互いの話をし始めるのだ。そして私は考える、「母のことを言ってもいいのか」と。そんなことをいきなり言ったら雰囲気が壊れてしまうのではないか、そう怯えていた。

そんなこんなでちゃんと友達に話せたのは、大学2年生の冬だった。その時は雰囲気のことを考えず、えいっと勢いで話せてしまった気がする。その人なら受け入れてくれると信じていたから。いきなり過ぎて重く受け取らせてしまったが、「話してくれてうれしかった」と言ってくれた。
それから私はその人に何でも話せるようになり、母のこととか学校のこと、就活のことまでいっぱい話した。本当に感謝してもしきれない。

話した後は、すごくすっきりした気分になった

母のことを打ち明ける前は、隠しているという罪悪感に酷く襲われていたし、上でもふれたように雰囲気を壊すことを恐れていた。でも話した後は、何も隠し事はしていないためすごくすっきりした気分になった。

ちょっと暗い雰囲気にしてしまったけれど、私の持ち前の明るさで少しは打ち明けて良い結果になったのだろうと思う。