からりと晴れた日が増えて、爽やかな風に草木の香りがほのかに感じられるような季節になると、今でも「あ、そういえばもうすぐ誕生日だったな」と彼のことを思い出す。
カッコいいと評判の彼に告白されて恋が始まった
彼と付き合い始めたのは、大学に入って初めての夏を迎える、少し前のことだった。告白してきたのは彼のほうだ。彼は、入学当初から同級生たちの間でカッコいいと有名になっていて、高校生の頃はどうやら彼のファンクラブなるものまであったという噂を聞いた。一方のわたしは、高校生のころ、男子から「ロッチ中岡に似てる」と言われて消しカスを投げつけられていたような女である。彼がなぜわたしのような地味な女を好きになったのかさっぱり分からなかったが、当時のわたしは彼と付き合えたことに鼻高々な気持ちだった。
付き合ってみて分かったことは、やっぱり彼は本当にどんな人にでも優しくて、情の深い人だということだ。そんな人だったから、もちろん友達も多くて、先輩からは可愛がられ、後輩からは慕われていた。わたしには、そんな彼がとても輝かしく見えた。
わたしは、友達が多いほうではない。女の子同士の、グループで連れ立って歩く感じに馴染めなくて、どちらかというと一人で行動しているほうが好ましかった。勢いに任せて入った部活も、体育会系のノリが嫌で1年も経たずに辞めてしまった。気が付くと、大学に気の置けない友人というのはほとんどいなかった。
こんなわたしが彼の彼女で本当に良いの?そんな気持ちを何度も何度も繰り返していた。
どうしても拭えなかった仲良し家族からの「疎外感」
中でも、特にわたしが気にしていたのは家族のことだ。彼の家庭は裕福で、両親と彼のほかに3人のきょうだいがいて、絵に描いたような仲良し家族。「家族LINE」というものがあり、いつも何やら楽しそうにやりとりしていた。片親家庭かつ家族とほとんど連絡を取らないわたしとは対照的だ。
彼の家族と初めて会ったときにはとても歓迎されたけれど、会話のネタと言えば全て、彼ら家族のことだった。彼らは彼らだけが知っている、家族の幸せエピソードについて延々と語っていて、わたしはその場でただずっとニコニコ微笑んでいることしかできなかった。
何だろう、この時間。
まるで、「家族」と書いた丸い円の外にわたしだけが囲い出されてしまったような気持ちだった。わたしはその家族幸せエピソードに一つも共感できなかったし、かと言ってわたしに話を振られても、この幸せな雰囲気に投入できるような明るい話題は提供できそうにない。ひたすら自分のターンが来ないように祈りながらその場を耐えた。
後でこのことを伝えたら、彼は心底驚いたような顔をして、それから「嫌な思いをさせてごめんね」と謝った。本当に良い人だ。でも、彼が悪かったのではない。わたしの中の劣等感や、妬ましさがそう感じさせたのだ。
彼と一緒に居ると、そうやってわたしの嫌な部分がどんどん浮き彫りになっていって、彼の人の良さがさらにそれを際立たせているようにも感じられた。それがずっと、辛かった。
待つこともできた。でも彼と家族にはなれない・・・
別れることになったきっかけは、彼が実家のお寺を継ぐために、修行に行かなければならなくなったことだった。彼は「修業が終わるまで待っていてほしい」と言ったけれど、わたしにはその自信がなかった。何より、彼を待って、いずれ彼と結婚することになったとしても、たぶん永遠に、あの家族という丸い円の中には入れないと思った。
別れる前に一度だけ、わたしのどこが良いのかと彼に聞いたことがある。
そうしたら彼は、悩む様子もなくさらりと「頑張り屋なところ」だと言った。彼は「自分のことで精一杯なときも、他人の為に頑張ろうとするでしょう?」と続けて「でも、身体を壊すまで頑張るところは良くないね」と笑っていた。あぁそっか、彼はわたしのそんなところを見てくれていたんだ。容姿とか友達の人数とか、過度に気にする必要なんてなかったんだ。そして、そういうところに気付ける人だったから、わたしも彼が好きだったのだ。
はっきりとさよならを告げた時、彼は「もうこんなこと言える立場じゃないけど、身体には気をつけてね」と最後までわたしの心配をしていて、どうしてこの人と歩いていく人生を選択できなかったのだろうと自分を責めた。
彼が誕生日に幸せな時間を過ごしていますように
その後も時々彼とは連絡を取っていたけれど、閉鎖的な生活のせいか、彼から以前のような輝かしさは感じられなくなったように思う。強制的に俗世から絶たれているうちに、友人たちが続々と就職したり結婚したりしていくのを知るのは、焦りを伴うものだろう。彼の「家族LINE」は日々更新されているが、彼にとっては「自分だけが取り残されている感覚」を与えるだけものになってしまったようだ。以前は羨ましいと思ったものだけれど、今はなんだか残酷に思えた。
今年の誕生日は誰に祝ってもらうのだろう。彼と過ごした時間を懐かしく思い出しながら、無責任でおこがましいとは思うけれど、彼に幸せであっていてほしいと願う。