人生で一番の笑顔を見せた次の日、私は人生で一番醜い顔をして、祝儀袋をびりびりと破り捨てていた。悔しい。悔しい。悔しい。お金だけど、お金じゃない。そんな複雑な感情に支配されていく。一生に一度のウェディングドレスの思い出が、涙で滲んでいく。

金一万円と書かれた祝儀袋を見ると、トゲのある言葉が心に突き刺さる

「妥協したね」
結婚の報告をしたとき、先輩が私に投げつけた言葉だ。幸せでいっぱいだった私は、そんな言葉なんて気にも留めず、適当に受け流した。
それでもこの「金一万円」と書かれた祝儀袋を見ると「妥協したね」の言葉がやけに心に突き刺さる。気にも留めていなかったトゲのある言葉の数々が、多少の誇張を含みながら、私の心を内側から刺し貫く。

極めつけは、三次会での言葉。数十万円したというパーティードレスを私に見せつけながら、一体、先輩はどんな思いで、こちらに視線を向けたのだろう。

折り目のついた福沢諭吉が、まるで私を見下すかのようにこちらを見ている。これも破り捨ててやりたいが、それができない自分が憎い。一万円。されど、一万円。

人生最高となるはずだった私の思い出に泥を塗った先輩

祝儀を数えながら、私は主人にこう言った。
「金額じゃなく、気持ちだよね」
何を言われたわけでもないけれど、自分に言い聞かせるかのように、私はこう言うしかなかったのだ。

気持ち? この一万円に気持ちなんてあるの? 自分の見栄のために数十万円のパーティードレスを自慢して、私に笑顔を向けてきたあの女に、お祝いの気持ちなんてあるの?

ぐるぐる、ぐるぐると、私の頭の中を駆け回る言葉たちは、止まらない。このペラペラの一万円札一枚が、人生最高となるはずだった私の思い出に、泥を塗ったのだ。きっと私は、結婚式の思い出を振り返るたびに、この出来事を思い出す。たった一万円で汚された思い出。謝罪をされても、追加でお金をもらったとしても、もう二度とあの日には戻れない。

祝儀として一万円を包んだのは、先輩だけじゃない。かねてからの友人も、祝儀として一万円を包んでくれた。
「お金がなくて、ごめんね」
そう言って、結婚式を欠席した友人。不快感はひとかけらもなく、逆に祝儀なしでも良かったくらいだ。
「一生に一度の思い出、楽しんでね」
笑顔で言ってくれたその言葉だけで、私は嬉しかった。友人には、心から感謝の言葉を言えたのだ。

受け取る相手によって違う…。お金は生き方を映すかがみ

お金は、その人の生き方を映す、“かがみ”だ。
一見同じように見える一万円札だが、全く違った人間性と気持ちが透けて見える。
もしかすると先輩は、ただ世間知らずなだけだったのかもしれない。間違えただけなのかもしれない。それでもその一万円は、私を蔑み、思い出を汚した。そして、そう感じてしまったのは、先輩が私にそんなふうに思わせる言動を取っていたからだ。

私は退職と同時に、先輩からの連絡を拒否した。先輩は「金にうるさいやつ」だと周囲に吹聴しているかもしれない。しかしそれでも私は、わざわざこの出来事を吹聴はしないと決めた。

今日もお財布から一万円。渡したあなたに、私の顔は、どう映っているのだろう。