私は、幼い頃から「もっと食べなさい」と言われる事が多かった。
嫌いな食べ物はシチューとシュークリームだけで、その二つだって危機迫る状況だったら口に突っ込んで食べてみせることが出来るのに。「食べなさい」「もっと食べなさい」とよく言われるのは単純に私が、“少食”な子どもだったからである。
「食べること」に関して、ストイックに自分のルールで生きていた
映画『千と千尋の神隠し』で主人公・千尋の両親が、目の前に出された大量の豪華な料理に目が眩み、自分の子どもにお構いなく豪快かつ下品にむしゃむしゃと貪り食うシーンがある。
小学生の頃、この映画を観て大きな既視感と恐怖を感じた。
「私の周りの大人たちと食べ方が一緒。口の周りや手を汚したり、夜中に食べたり、むしゃむしゃと。理性もなくてやっぱり、大人の食事ってすっごく汚い」
そう思ってからは、元々体質的に少食だったことにプラスして、間食はしない、お菓子も「食べなさい」と言われなければ食べない、おかわりはしない、夜9時以降は飲み物以外のものは口にしない。という確固たる意思を持った、まるでダイエットに奮闘するOLの様な生活スタイルを選んだ。
それからずっと少食で生きてきた。「食べなさい」という言葉にストレスを感じながらもガン無視で。
「貴方たちみたいな下品な大人にはなりたくない。私はストイックに、私のルールで生きますから」
身長もそこそこあって世の中的にはひょろひょろ、というかガリガリに分類されるのだろうけれど、病的なほどではないし。
「どうか食べて…」の声を、他人事のように聞いていた
けれど昨年の春、拒食症のような過度の少食になってしまった。
原因は、うつ病の発症とそれに伴ったHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)の悪化である(悪化と呼んでよいものかわからないけれど、あまりにも食べなさ過ぎて命を失いかけていたので、ここではそう書く)。
母以外の人が作った料理は、その人の匂いがするような気がしてどう頑張っても食べられなくなった。母の料理は、母がいない日の独りご飯を思い出して、寂しさが加速してしまうから食べられなくなった。「ご飯を食べれば生き延びてしまう」と思ったら何も食べられなくなった。
ここまでくると「食べなさい」ではなくて「どうか食べてください」とお願いされるんだな、とベッドに横たわりながら他人事のように聞く。
以前より薄くなったお腹を以前より軽くなった手で、ぼんやり撫でながら唐突に、前に観たあの映画のシーンを思い出した。「最後に一回くらい、豪快に食べてみたいなぁ」
これが、ご飯を初めて自分の意思で「食べたい」と思えた瞬間だった。人間の生存本能がそうさせたのか、よくわからないけれど。この日、私は母の目を盗んでお湯を沸かし、おにぎりをせっせと握り、カップラーメンを作り、わざわざ海苔とチーズまでトッピングをして、豪快にむしゃむしゃと食らった。数カ月ぶりのちゃんとした食事だった。
「どうしよう。びっくりするくらい美味しい」
涙が溢れて止まらなかった。こんな風に食べちゃったりして、私も大人になっちゃったのかな。
ご飯を美味しく食べられることは、心と体にとって大事
それから徐々にうつ病の症状は落ち着いて、最近はほぼ毎日ご飯が食べられるようになった。間食もするし、夜中にお菓子も食べる、おかわりは難しいけれど、辛い日は時々わざとむしゃむしゃと豪快に食べたりもする。
食事は、メンタルとも関わりがあるから大事っていうやつ、あれ本当。
「食べたい」と思った時に、食べたいものを食べたい分だけ、食べられたら偉い。少しでも食べられたら偉い。体重がどんどん増えたとしても偉い。ご飯を食べるだけで、ご飯を美味しく食べられる毎日を生きているだけで、みんな偉いと私は思う。