留学に向けて、どうやってお金を貯めるか苦心していた五年前の私は、書店やネットでさまざまな情報を得て、貯金を実践していた。例えば、銀行で定期預金口座を開設したり、レシートをノートに貼ってズボラでも続く家計簿をつけてみたり、お財布を長財布にして、お金が増えるように、常に財布を掃除したりしていたが、あれから現在もお金に好かれた感じはしない。いつも尻に敷かれているような気がする。
いつも頭を悩ませていた留学時代。心の余裕はお金の余裕?
留学時代は常にお金に関して頭を悩ませる日々が続いた。語学学校の学費、テスト費用、そして家賃など、なるべくアルバイトをしたお金で生活費を工面していたが、職場の閑散期のシフトの減少により、バイトの掛け持ち先を探したりと、常に精神的に余裕がなかった。
さらに追い打ちをかけることになったのが、当時のアルコール依存症のハウスメイトのドイツ人男性との人間関係。彼は長年大学に籍を置く貧乏学生だが、奨学金を利用して、毎晩、酒をたらふく飲む生活を過ごし、それでもお金がないためにアルバイトをして過ごしていた。当然、お金に困る二人がシェアハウスなんてしているとロクなことがない。喧嘩をすると彼は「自分は疲れている。僕は昨日、深夜の一時まで働いたんだ」と言われれば、「私はたまに深夜の二時まで働いて、三時に帰ってくるけど?」なんて売り言葉に買い言葉。最後は私が家出をする形で引っ越した。
引っ越した先の家主は、シェアハウスの住人と違って、高所得者で高級住宅地の一軒家に住んでいた。私は家主の家に下宿する形になるのだが、“お金に余裕のある者とない者”、の違いに驚いた。彼はいつもニコニコして私に「元気?」なんて話しかけてきてくれる。人との時間も大事にしてたし、他人に任せることによって、浮いた時間を趣味や仕事にあてていた。
それに対して元ハウスメイトの彼は、全てが逆だった。減るばかりのお金と増えるばかりの仕事の鬱憤を晴らすかのように、午後起きると壁の薄い部屋で大音量で「またディスコ始まったよ」というぐらいヒップホップを流した。私に注意され、謝罪もせず、「仕事で疲れたんだ!」と自分が如何に正しいか主張して、私と口論する悪循環な生活を過ごしていた。
私は金銭面の不安が短期的なものだと気付くまで遅く、それが断続的に続く誤解から、大きなストレスを抱えていた。自己肯定感を瞬く間に、下げたりもした。大げさかもしれないが、お金の大事さを分からせるためにも、神様は私に彼らを引き合わせてくれたのかもしれない。そして捨てる神あれば拾う神ありと、「お金で精神的に余裕がなくても、なんとかなるよ」と神様はアドバイスしてくれたのかもしれないと当時は本気で思っていた。
「留学費用は自分で貯めた」。人の評価を気にして咄嗟についた嘘
ドイツから日本に帰国後、私は早速、就職活動までの間にアルバイトをしようと面接に臨んだ。あるバイトの面接の時、一人の男性面接官は私がドイツに留学していたことを知り、開口一番に「その留学費用はどこからきたんですか?」と仕事とは全く関係のない質問してきた。本当は親の援助が大半だが、私はそこで「自分で貯めました」と答えた。留学中、金銭面では常に痛い思いをしてきたが、他人に自分とお金の関係を探られるのは物凄く嫌だ。この質問は留学中に知り合った日本人同士でも普通に聞いてくる。人によっては「親の金できた」と言うだけで、相手を軽蔑したり、「自分は自力で貯めた」と相手を非難する人もいた。どのようなお金で留学しようが何しようが、彼らには関係のないことである。しかし、私は面接時、「親のお金ですなんて言ったら、上の世代の人は親の脛をかじってる人とか思うんだろうなあ」と即座に判断し、自分とお金との関係に嘘をついた。
私はお金を必要としているが、結局あまり好きじゃない。だからお金もそんな私に距離を置きたがる気がする。
一生付き合っていくお金との信頼関係を、少しずつ築きたい
現在は留学中と比べて、金銭面に困ることはなくなった。微量ながら稼いだお金で、ドイツにいる間に買えなかった日本語の本や漫画を買って楽しんでいる。また貯金を開始するが、以前みたいに綺麗な長財布にお金をいれるなんてせず、キャッシュレス化促進のためにポイントが付くデビットカードやスマートフォン決済による、現金を持たない方向で、財布の縮小化をする予定だ。そして少しずつお金との信頼関係と築いていこうと考える。
今はまだまだ知り合いだが、棺桶まで付き合うこととなるお金だ。「昔はあんたに痛い目みたけど、どうも今までご苦労様」なんて労わることが出来るぐらい、お金との距離を縮めていきたい。