私が以前働いていた会社には、変な“お弁当文化”が存在していた。お弁当といっても、社員が家から持参するお弁当のことではない。会社では、ランチミーティングと呼ばれる、お弁当付きのミーティング(懇親の場)があり、そこでのお弁当のことである。働いていた当時は、嫌だと思っても逆らうことはできなかったが、違和感を覚える点がいくつかあった。また、業務の一部と頭では理解していながらも、ストレスになることが多々あった。

そもそもランチミーティングは、総合職と一般職とで分かれていた。また、営業第一課、のように課ごとに行われるため、ミーティングの人数は10~30人ほどの規模だった。総合職は週に一度、一般職は月に一度行われていた。

お弁当の値段に準備・片付け…総合職と一般職の差に違和感

違和感を覚えたことの一つが、お弁当の値段の差だった。選んでよいお弁当の値段の上限が、総合職は1500円+税なのに対し、私のような一般職は1000円+税だった。たかがお弁当、と思うかもしれないが、東京ではお弁当の値段も高く、1000円では選べる種類の範囲も狭まる。このランチミーティングは“福利厚生の一部”として行われていたため、より責任の大きな仕事をしている総合職がいいお弁当を食べられるのは仕方ないのかもしれない。しかし、総合職のランチミーティングは週に一度あり、一般職の月に一度と比較しても、格差があるのではないかと感じた。周囲の一般職の社員からも、私たちは月に一度なのだから、値段くらい統一してもいいのにね、という言葉がよく聞かれた。

また、総合職のランチミーティングの準備、片づけはすべて一般職の役目だった。課の中でお当番制になってはいたものの、ミーティングは毎週あるため、頻繁に順番が回ってくる。準備といっても、当日だけではなく、前後にも時間を取られた。

まず、お弁当選びに一苦労する。お弁当は、総合職に飽きがこないよう、3か月以内に頼んだものと同じお店は不可という謎のルールが存在していた。また、一般職の場合はアレルギーや苦手なものがあっても「一人一人の事情は聞けないから、それを避けて食べて」という扱いだったのに対し、総合職の場合はそれをすべて考慮しなければならなかった。そんなことをしているうちに、業務の多くの時間をお弁当選びに費やさなければならなかった。

また、ミーティング当日のセッティング(これにもお茶やランチョンマットの並べ方など、細かなルールがあった)や後日の経理処理などもすべて一般職の仕事だった。あるときふと、なぜ自分はこんなことをしているのだろうと思ったこともあった。

ミーティング後の部屋には、大量の食べ残しがあった

このお弁当文化の中で最も違和感を覚えた瞬間は、ミーティング後にお弁当を片づけているときだった。1500円のお弁当となると、使われている食材がよいものであることのほかに、たいてい量が多かった。そのため、ミーティング後の部屋には、大量の食べ残しが残っていた。

また、ミーティングに出席すると言いながら実際には欠席し、お弁当だけを後から取りにくる、ずるい社員もいた。後から引き取るのはまだ良いとして、中にはお弁当すら引き取りに来ない社員もいた。余ってしまったお弁当は、お当番の一般職が持ち帰っても良いことになっていた。自分たちで手配しないため、大事にしなければという意識が薄いのだろう。しかし、特に夏場などはお弁当の傷みも早いため、持ち帰れない場合も多々あった。お弁当の種類によっては、冬場でも長持ちしないものもある。そうすると、手を付けないまま処分せざるをえないのだ。これが、大きなショックだった。

ランチミーティングは、総合職には評判が良かったそうだ。それはそうだろう。自分たちは何も準備・片づけに関わらなくてよく、週に一度会社の経費で美味しいお弁当が食べられるのだから。しかし、それを支えている身に一度でもなってほしいと思った。

お弁当文化は必要だったのか

会社を離れた今でも、このお弁当文化は必要だったのか、と思うことがある。もちろん社員の福利厚生は大切だ。しかし、社内だけの、さらに総合職という一部の人々だけの福利厚生で良いのだろうか?そして、社会への責任が全く感じられない企業文化で良いのだろうか?

コロナウイルス感染拡大で、働き方も大きく変わっただろう。このお弁当文化も変わっているかもしれないため、一概に非難はできない。しかし、貧困やフードロスの問題がコロナウイルスでさらに浮き彫りになるなか、社会のことを少しでも考えられる会社になってほしいと願っている。