あれは私が3歳くらいの時だっただろうか。大好きな祖母と、百円均一に行ったのを覚えている。
百均が物珍しかった私にとって、沢山のもので溢れかえる百均は気持ちを高揚させた。

嬉しくて嬉しくて。割れてしまいそうになるくらい、はしゃいだ

祖母の家で私が使う、麦茶やジュースを入れるコップが必要だったのだろう。
好きなコップ選んでいいよ、と言われた私は大喜びで棚を見回した。
今から思えば、種類も少なかったが、一つ一つ見て回った。
そんな中、祖母は、
「このコップなんてどう?」
と、可愛らしいピンク色のうさぎがプリントされたコップを指さした。それが一番気に入った私は、祖母が何気なく勧めたうさぎのコップを買ってもらう事にした。

私は、自分の物ができたのが嬉しくて嬉しくて、祖母の家で麦茶やジュース、牛乳を飲む時には、必ず、うさぎのコップにいれてもらうように、ねだった。それはもう、割れてしまいそうになるくらい、はしゃいでいた。

それから、祖母の家に行くたびに、そのコップを使っていた。小学生、中学生になっても使っていたものだから、私の母はそんな私とグラスを「子供っぽい」と言い、私は悲しい気持ちになったこともあった。
それでも、このコップは私の、私だけのコップだった。

しかし、次第に祖母の家に行く機会が少なくなり、祖母の家に行っても、使う機会は減っていった。どんどんコップのことを思い出すことも減っていった。

再びコップと向き合うことになったのは、私が高校生になってからだった。

学校に行けなくなり、祖母の家を出た私。コップを寮に持って行った

実家を離れ、祖母の家から高校に通うことになった私は、慣れない環境のせいか、次第に学校に行けなくなっていた。
学校に行かない私に、祖母はよく怒った。ささいなことで祖母との喧嘩が増え、祖母の持病は悪化した。
一緒に生活するのが難しくなり、私は一人祖母の家を出た。

「何か持っていく物は?」

「必要な物はある?」

学校に近い学生寮に引っ越しすることが決まり、荷物の準備に取り掛かる時に、祖母にそう尋ねられた。

「うさぎのコップが欲しい」

心も身体も、祖母との関係までもボロボロだった私は、必要なものの他に、祖母の家から持っていくものとしてうさぎのコップを選んだ。
馴染みのあるものはほとんどない、そんな寮生活が始まった。
寮では必要最低限の物しか置けない小さな部屋だったので、コップを置いておける場所が無かった。監獄みたいだったな、と今になって思う。ひたすら学校と寮を行き来する生活。
そんな中、何を思ったのか私は、コップを歯ブラシ立てとして使うことにしたのだった。
ボロボロだった私は、歯ブラシ立てを見るたびに何かが胸に引っかかったが、それが何かはその時には分からなかった。
私はそのまま流れるように高校を卒業した。

愛着なんてものじゃない。このコップは、祖母から受けた愛情そのもの

コップを買ってもらって15年以上が過ぎ、私は成人し、祖母との関係も元に戻り、今では良好だ。
幼い頃から一緒だった犬が天国へ旅立ったりなど、辛い変化もあったが、友達がいないことで悩んでいたも過ぎ去り、今は深く付き合える友人もいる。

人間関係や、生活が変わっても、昔から変わらないものは、あのうさぎのコップ。
今は歯ブラシ立てとしてではなく、綺麗に洗って、コップとして使っている。
うさぎのコップを買ってもらってから随分と歳月が経って、私のコップの数も増えた。
一つ一つのに思い出と愛着がある。

でも。あのコップは、「愛着がある」なんてそんな可愛い言葉で収めたくない。
執着、とも違う。
使うと思い出す、幼い頃の記憶、祖母の優しい目。ちょっと酸っぱい麦茶。
思い出すときゅんとする、戻れない日々。

これは祖母からもらった愛情そのもの。

うさぎのコップは、私が祖母に愛された記憶、愛された証なのだ。