煮込んだ林檎を食べるとき、頭のなかで回りだすおもちゃのルーレット

林檎をことこと煮込むあまい香りがただよってきたら、小さい頃の私と兄は二人して駆け出した。手に取るのは、すっかりぼろぼろになった人生ゲームの箱。端っこのほうは破れて紙がひらひらしているそこから道具を取り出して、からからと軽いルーレットを回した。
母がアップルパイを焼く日は、人生ゲームをする日。
いつのまにそんなことになっていたのか、今となっては覚えていないがそう決まっていた。
林檎がしんなりときつね色になるまで煮込んだらシナモンをたっぷりかけて、2枚の冷凍パイシートの間に挟み込む。ナイフで三つ上に切り込みを入れれば、あとは焼くだけというとても簡単なおうちのアップルパイだった。長方形の、ちょっとうすめのアップルパイ。運がよければ生クリームも付いてくる。
できたよと母に告げられると、いったんゲームはやめにしてアップルパイに飛びついた。
小皿に一切れずつもらって、また急いで人生ゲームに戻る。お行儀は良くなかったけれど、あつあつのアップルパイを食べながらゲームをするのが、私と兄にとってはお約束だった。
ぽろぽろと崩れやすいパイ生地を食べながらどうやってルーレットを回していたのだろう。あとかたづけは大変だったんじゃないだろうかなんてことを考えてしまう。今となってはもう覚えていない。
でも、アップルパイのことはよく覚えている。
幼い私は食べるのがまだまだ下手だったから、パイを上下に分解していた。そしてかりかりに焼かれている上のパイとシナモン香る林檎をサクサクっと食べる。そのあとに、林檎の甘さをたっぷりと染み込ませたしんなりとした下のパイを食べるのだ。あともう1切れだけなら、おかわりだってできた気がする。
いつまでたってもあのとき、人生ゲームをしながら食べたアップルパイの味を忘れられないでいる。
知らぬまに家から人生ゲームがなくなってからも、何度か母はアップルパイを焼いてくれた思うけれど、なぜかそのときのことはあまり覚えていない。人生ゲームを家中探して、ないなぁと落ち込んだ覚えはある。
そして、おうちのアップルパイは出されなくなった。母が小麦粉アレルギーになったのだ。自分で焼けばいいじゃないと言われるけれど、どうにも気が進まない。焼いたって、兄はもう家を出てしまったし、人生ゲームだってもうとっくにないことを今の私は知っているのだ。
でも、たまに母はすっぱい林檎をことこと煮込む。甘い香りがしてくると、アップルパイだと今でも思ってしまう。スプーンですくって食べる林檎はおいしいけれど、いつもちょっとだけ物足りなくなってしまう。
人生ゲームでも買ってこようかな。
そんなことを考えてはいても、林檎を呑み込んでしまえばすぐにそんなことはわすれてしまうのだ。
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