高校時代の友人が就職活動を終えていく。友達の中でも特に仲の良かった子が大企業から内定をもらったらしい。みんな、大人になっていく。私はみんなと年齢は同じだが大学の入学年度が違うのでまだ3回生だ。なのでまだ嫉妬心もなくその友達を祝福できた。
しかし考えてみるとその子は就職活動が始まるギリギリまで部活をしていたので、実際就活をしたのは半年ぐらいか。そんなに短期間でしかもコロナ渦にペースを崩されてもなお、トップクラスの企業に内定をもらったのは驚くばかりである。この子は大学受験のときも部活と文化祭をギリギリまでやっていたのに、第一志望の大学に現役で合格していた。
そのときの私といえば、自分の能力よりも遥か上の大学を目指しており、玉砕する形で1回目の受験を終えた。そして1年間の浪人生活の最後の最後に志望校を変更し、第一志望の学校に落ちた。
そのあと滑り止めの私立に入り、周りの子が毎日休まず学校に行っているのを傍目に、自分は適当に学校を休んで彼氏と遊んでいた。心から笑い合える友達ができず、彼氏だけが生きがいの孤独な学校生活を送っていた。大学では勉強を頑張らなくても単位は取れたので高校の時ほど必死になれなかった。
自分の頭が悪いなんて微塵も思っていなかった
そして1人で食べるお昼ご飯にも慣れてきた頃、数少ない友人の知り合いと仲良くなり、それからはその子と一緒に過ごすことになった。その子は高校から推薦で大学に入っているからか、真面目で、絶対に学校を休まないうえ、発表なども前々から準備して取り組む子だった。その姿は私が高校時代に見てきた人とは違うタイプの人間だった。
私が通っていた高校は要領の良い人が多く、普段遊んでいるのにもかかわらず、テスト前になったら本気を出して高得点を叩き出す人が少なからずいた。
私もそのタイプの人間だと勘違いしていたので、文化祭や部活を受験の数ヶ月前まで楽しんで、そのあとの受験の結果で現実を目の当たりにした。
しかし長年にわたって形成された勘違い野郎の私のプライドはなかなか折れてくれず、この時は自分の頭が悪いなんて微塵も思っていなかったし、全然勉強していなかったのだから難しい大学に受からなくて当たり前だ、勉強すれば医学部にも受かると思っていた。しかし1年間丸ごと勉強に費やしたのにも関わらず、結局、現役時代に受けていれば受かっていたであろう滑り止めの大学に行くことになった。
ここで、今まで持っていた強固な自信にヒビが入っていくのを感じた。高校時代の優秀な友達と私とでは明らかな能力の差があることがだんだんわかってきた。能力だけでなく計画性や集中力、それに忍耐力なども、私のそれとは雲泥の差だったのである。
希望する道への1番の近道は、自分を受け入れること
しかしそのことに気づかされたのは受験に二回連続で失敗した時ではなく、大学の友人と共に過ごす間にである。大学の友人を見ていると、自分とは違って真面目で、日々少しずつ計画的に物事を進めていた。いわゆるコツコツタイプの人間が大学には多かった。そして私は思い出した。小学校のときの自分もこのようではなかったか。小学4年生から卒業するまでの3年間、放課後はほぼ毎日塾に通って夜遅くまで勉強していた。その結果、見事第一志望の中高一貫の学校に合格し、賢い人に混ざりながら「私もその1人だ」と勘違いしながら遊びまくった。
6年間遊び呆けた結果、コツコツ努力をすることを忘れてしまい、要領も良くないのに土壇場になって適当に勉強する癖がついてしまった。しかしやはり自分は要領が良くないのだから、コツコツ真面目に物事を進めていくことが1番自分に合っているのだ。そのことに気づくまでに長い時間がかかった。
受験生のときは、周りの人間をみて、その人のやり方を自分に当てはめてみても、うまくいかなかった。飽きずにずっと読んでいた合格体験記も、それはその人個人のやり方で勉強して合格できたのであって、その人は私じゃない。元々の頭の出来も、考え方も、何もかもが違っている。だから、人と比較して、その人が成功したプロセスでやってみるのではなくて、自分の性に合った方法で物事を進めていくといいのだと気づいた。
私は本当に挫折したのは受験で2回も失敗したときではなく、大学の友人と過ごすうちに「本当は自分は要領が悪くて賢くもない」ということに気づかされた時である。それはまあ衝撃的な事実だったが、今ではそんな自分を受け入れて始めている。
そうしたらあとは優等生の短期集中的なやり方を真似するのではなくて、コツコツ地道に努力するだけだ。その過程には合格体験記に書いてあるような派手なストーリーはないが、自分の希望する道への1番の近道であることは間違いない。