学生を終えると、社会人として働き続ける人生が待っている。
世の中の多くの人は、そうしているだろう。
働いて、稼いで、消費する、納税する。
これは、ただ今日という日をやり過ごす日々を卒業するまでの話。
当たり前のことができない苦しみとともに生きた日々
私は、高校を1年遅れで卒業をしたあと、2年間地域包括支援センターで暮らしていた。こんなにも早く、福祉サービスを受けることになるなんて思いもしなかった。一般的には、そんなものは老後厄介になるだろうと予定するだろうし、私も人生の最期のころにはお世話になるとしても、前半は用がないと思っていたし、そんなライフプランは10代~60代までないはずだった。
地域包括支援センターは、就労支援ではなく、生活支援になるので働く場所ではない。そこは社会から外れた、あるいは受け入れてもらえなかった人たちの居場所。たわいない会話をしたり、ボードゲームをするような場所。
ときに、お金がなくても幸せ!と話す人がたまにいるけれど、私はそれはないと思う。
実家暮らしだったから、飢えに悩まされるほどの貧しさを経験したことはないけれど、未来は明るくなかったし、ただ今日という日をやり過ごす。その積み重ねだった。
朝起きて、寝て、ご飯を食べ、トイレへ行く。風呂は入れたり、入れなかったり。1日の大半を布団で過ごす。当たり前のことができなくなっていく自分、当たり前のことができない自分が当たり前になることが苦しかった。
収入と同時に得られた「今週の予定」という希望
SNSを開けば旅行をしたり、テーマパークで遊んだり、ショッピング、カフェの風景ばかり。世の中の大多数の生活、人生から遠く離れた暮らしが染み付いた私だったけれど、つらくなったときの衝動を受け流すスキルを身につけつつ、日々の暮らしを積み重ねたおかげか、長らく地域包括支援センターに通った成果か、生活支援から就労支援を受けれる兆しが出て、B型事業所へ通うことになった。
B型事業所は就労にならない、働いたことにならないと話す人もいるが、私のように社会人スタートがB型だった人にとって、そこは、生まれてはじめて仕事と呼ばれることをした場所、働いた場所。
はじめて工賃を手渡しされた日、私は、「ただ今日という日をやり過ごす日々」を卒業した。
(実家暮らし、ちょっとした家業の手伝いの引き換えに、寝食付き、病院代支給、スマホ利用可の待遇。これがどれほど、ありがたいのかは、25歳の時、障害者枠雇用フルタイム手取り12万を経験し、世の中の厳しさを知るまではわからなかった。20代前半、非正規、ワーキングプワで溢れている日本で自由に使える1万円の大きさはまだ知らない。)
工賃1万円、今まで手にすることなかった大金。100均一でコスメが買えた。カフェに行くことができた。美術館に行くことができた。できたが増えた。
より人らしい生活を体験でき、外出機会も増えたことで、体調がみるみると良くなった。
この時はまだ、将来の夢や希望はなかったし、せいぜい、同級生のように一般的な人間、人生を送りれたら社会にと溶け込めるはずという気持ちぐらいだったけれど。明日の予定も将来の夢もない私から、今週の予定がある私に成長した。
これを機に、QOLの向上に、お金は必要だと強く思うようになった。月に1回、2回、今週の予定を持って過ごせること。それだけで、「ただ今日という日をやり過ごす日々」から、今日も明日もいろいろなことをして生きていたい、に変わる。そんな心境の変化が起きると、信じている。
(ここに記載したB型の工賃はあくまで目安です。A型事業所のように、最低賃金並の工賃を支払っている施設もあります。また障がい者枠雇用についても、障がい者枠雇用=安月給というイメージがありますが、自立できるだけの給与を支払う企業もあります。)