私には小学校から成人するまで、つまり今までずっと付き合っている友達がいる。
友達になる前も含めて、出会ってから一体何年が経つのだろうか…?もう軽く12年は経っている。
小学校2年生の時、鉄棒で逆上がりを練習していた私は、その子に話しかけられた。今その子が20歳、私が21歳だから…。あー長い付き合いだなぁ。
小学校の時は交換ノートを書いていたし、中高の時はよく地元の駅周辺で遊んでいたし、今でも毎日のようにLINEを送り合ってる。本当に大切な友達。
友達はいつも私より「上」だった。でも、負けたくなかった
その子は小学校から塾に通って中学受験をして「お話」って呼んで小説を書き合ってたけど、いつも私より“上”だった。勉強だって私がうまくいったなって思ったときは80点で、友達は100点だったし、「お話」だってその子のほうがおもしろかった。
だから、覚えたての“追いつけ追い越せ(明治時代の日本のやつ)”が私のその子に対するモットーになっていた。早くその子と同じ水準になりたかった。私はすごい負けず嫌いだから、負けたくなかった。
そう思ってから私は、その子に“負けていること”がすごく悔しくて、少し攻撃的になった。それが表れたのは中学の時。もらった手紙に「元カレからもらったけど、あんまり合わないからあげるね」との内容、ともに何やら高そうなイヤリングが同封されていた。
「元カレ…?彼氏もまだいない私は、また負けたんだな」そう思って、同時にすごく憤りを感じてその手紙を勢いよく破って捨てた。「せっかくもらった手紙なのにどうしたんだ」って親から言われたけど、なあなあなことを言ってやり過ごした。
あの頃の私は恋愛も勉強も…友達に負けている気がした
大学受験の時期になると、友達は国公立のオープンキャンパスに行き、私の合格可能性のことも考えず「いいんじゃないこの学校」と言ってきた。当時の私の偏差値は50ちょいくらい。現役では相当無理なところだった。
恋愛だって、勉強だって…負けていた。もうすっかり同じ水準になれないほど差は開いていて、それは自分でもわかってたけど当時の自分としてはすごく悔しくて、受け入れがたかった。
そして、一生懸命「同じ水準は無理だけどちょっとでも追いつけるように頑張ろう。悔しいけど、負けは仕方ないこと」そう自分に言い聞かせた。もう高校生だし、ちょっと背伸びしたら大人だから。
それから2人とも大学生になり、それぞれ専攻とか興味を持っていることが違うことに気が付いた。また、初めて私は、勝ち負け自体考えるのがおかしくて、負けたくないと思っていた自分もおかしかったことに気が付いた。
それからは本の貸し借りをしたり、自分の学校でこういう授業があってとか互いの興味分野のことをいろいろ話したりした。負けたくないと頑なになっていた私はたぶんそこにはいなかった。
大人になって気付いた。皆違って当たり前で、勝ち負けじゃないこと
そして、つい最近その子の誘いもあり、こうやって文章を書くことを始めた。
でも、やっぱりその子の文章は素敵で、ちょっと「負けたなぁ」と思ってしまう。なんでだろうね。
だけど、頑なに負けたくないとなっていないし、私の文章を「面白い」「好き」って言ってくれる人がたくさんいて嬉しい。そんなとき、私の書いた文章は「負けていない」「勝ち負けじゃなくて唯一、私にしかできないものなんだ」って思うの。自信もって私にしかできないこの文章を「好き」って言ってくれる人がもっと増えるまで頑張ろうと思う。
友達となんでも同じなんて変だし、私は私だから、今までちょっと間違っていたかな。その子もその子だしね。ほぼ毎日のLINEは刺激的で楽しい。SNSの更新も楽しみな自分がいる。だって全然違うことに興味を持っているから。