親元を離れ一人暮らしを始めたとき、私は自分で作った料理を食べることができなかった。
実家にいた頃は、母が家事をなんでもしてくれていた。私に家事経験がないことを心配して『初めての料理』や『家事一年生』のような内容の本を、母はたくさん持たせて送り出した。

一人暮らしを始めてみると母の予想通り、私は料理ができなかった。正確にいえば、料理はしてみるが、自分で作った料理のことを気持ち悪く感じてしまって、食べることに抵抗があった。ものすごく。料理のスキルが低いこともあって、余計に。

「自分が作った料理」というだけで、汚らしく感じた

思えば、自己肯定感がずっと低い子供時代だった。専業主婦の母と亭主関白の父の間で育ち、家庭の雰囲気はあまりよくなかった。

その上、義務教育の途中で引っ越してきた事情があり、地元の同級生に馴染めなかった。馴染めないどころか、少しいじめれらていたと思う。体毛の濃さやご飯の食べ方が綺麗ではない、走り方が変。直接言われたり、影で言われたり。

幸い高校は地元から少し離れた学校に通って、わりと穏やかな学生生活を過ごすことができたが、両親の不仲と少し特殊な(もしかしたら一般的なのかもしれないが)家族の背景もあって、ここにいては生きていけないと逃げ出すように遠方の大学へ通うことにした。

はじめての一人暮らし。とても楽しみだった。なんでもできる自分の王国。

だけど異変にそのうち気づくことになる。自分で研いだ米や焼いた野菜、混ぜた味噌汁がどこか気持ち悪く感じた。“私が作った料理”というだけで、どこか汚らしく感じた。潔癖症ではないはずだった。なのに、自分の手、もっといえば身体に自信がないといえばいいのか、小学生のときに流行った、“○○菌”に近い感覚がそこにはあった。不信感と不快感。それに、おいしくない。

自分のご飯が食べられないから、コンビニやレトルト食品ばかり食べた

気になることはなんでも検索する癖で、“自分の作った料理が食べられない”というようなワードでネットを探してみると、知恵袋に似たような現象を書いている人を見つけて、そういう人もいるんだと少し安心する。

それからはスーパーで材料を買って、料理をして、なんとなく気持ち悪いと思うご飯を食べるということに意味を見いだせず、コンビニご飯やレトルト食品ばかり食べて過ごした。そんな日々が大学卒業、社会人になっても数年続いた。

何年もコンビニご飯を食べていると、ある日突然、コンビニでご飯を選ぶと食べたいものがないことに気づく(今でもコンビニご飯は好きだが)。何年も同じものを食べて、飽きがきていた。

学生時代の学食とは違って会社に社食がなかったので、コンビニご飯依存率が高まってしまい、週5日1日3食コンビニ弁当やおにぎりが当たり前になっていた。お腹は減っているし、何か食べたいが、食べたいものがお店にはない。外食の量を食べ切る自信もない。

私は、久しぶりに自分のために料理をすることにした。お米を炊いて、肉を焼くだけ。少ない材料でチャーハンを作るだけ。冷凍うどんにめんつゆをかけるだけ。驚くことに、自分の料理が素直に美味しいと感じられるようになっていた。

少しずつ…自分で作った料理を食べられるようになってきた

大学や社会人生活の中で、友達と鍋をしたり、恋人が振る舞ってくれるご飯を食べたり…。

友達がそこそこできて、アルバイトをして、サークルに入って、就職活動を行って、卒業論文を書く…。

何がどんな経験値となって、自分の作る料理が気持ち悪いと思わなくなったのかはわからない。だけど、長い年月の中で、いろいろなことをそれなりに乗り越えて、少し自分のことを認めてあげることができるようになったのかもしれないと感じた。

今でも、仕事が忙しかったり疲れていたりして、料理をすることはそこまで頻繁ではない。しかも、まだ完全に自分の料理を好きにはなれず、食べることに抵抗を抱く時もある。特に冷めた料理に対して顕著になってしまい、作り置きなどはすごくハードルが高い。だから、無理に作らなくていいとも思っている。

それでもたまにスーパーへ行くと、いくつか食材を買いおきする。たまには珍しい野菜や果物を買うこともある。

自分で料理をして、食べること。どこか自分の生活の総集編(というのが適切なのだろうか)のような感じがして、おもしろいと感じる自分がいる。