両親は、わたしに小さい頃から教養を押し付けるようなことはなく、のびのびとわたしの自主性を大切にして育ててくれた。けれど、わたしは用心深く物事に自分から飛び込む勇気を持てない、そんな子だった。だからこそ、ずっとわたしは自分以外の誰かに“やらなくてはいけない”状況を作って欲しくて、強く強要して欲しかったのだ。

怒鳴られたくない。でも、幼い頃「~しろ」って言って欲しかった

両親ともに勉学も習い事も好きではなかったため、わたしにそういったことをすることは決してなかった。わたしが進んでやりたいこと、その自主性を尊重することが、彼らの子育て指針だったともいえる。

そんな母に「どうして『勉強しろ!習い事をしなさい!』って言ってくれないの?」と、わたしは何度も言った。母は困ったように笑い、そしてわたしにいつも同じことを言うのだ。「きちんとやっているのに、これ以上やれなんて言えない」そう繰り返し、わたしに言うのだった。

実際そうなのだ。わたしは決められたことはきちんとやる子で、もちろん宿題は帰宅して早々に手をつけ終わらせるし、予習復習だって自ら真面目に取り組むような、模範的ないい子ちゃんだった。

しかし、実際のところ口ではそう言いながら、わたしは“怒鳴られる”ことが怖いだけだった。人の感情の変化に機敏だったわたしは、感情のままに大きな声で怒鳴られるのだけは、どうしても避けたかったのだ。

わたしは、否定されること・新しい世界に飛び込むことが怖かった

この歳になり、わたしは“怒られる”ということには2種類あるのだと考えている。1つは、感情のままに、頭ごなしに怒りの感情をぶつけるもの。もう1つは、論理立てて話をしつつ、同じ過ちを起こさぬよう注意するような、怒っている理由を諭すようなもの。

当時、わたしは“怒られる”ということは、前者のみだと思い込んでいた。当然わたしの両親はその怒り方をする人たちで、幼いながらにわたしは「両親に対して常に2人を怒らせないようにしよう」と心に誓っていたのだ。

そこで今、はたと気づく。わたしは“怒られる”ことが怖かったのではない。大きな声を張り上げられることこそが、怖かったのだ。幼いわたしには、その分別がしっかりとついていなかっただけだったのだ。

自分で行動を起こす勇気もなければ、大きな声を張り上げられることも怖い。そんなわたしは、後悔してもし切れないほどあらゆる経験値が乏しい。気持ちだけは、ピアノだって習ってみたかったし空手もやりたかった。習字も習ってみたかったし、お琴やギター、フルートを演奏できるようになりたかった。周りの子がみんな行っていた塾にだって通ってみたかったとずっと思っている。

しかし、その思いを両親に告げることはなかなかできなかった。「駄目だ」と言われるのも怖かったし、なにより各々の世界に自ら飛び込むことこそがどうしても、怖かった。そんな後悔を、わたしはこの歳になってもずっと引きずっている。

年齢を重ねることで「自分」と仲良しになれた気がする

20代とも別れを告げる歳になり、最近はちょっとだけ肝が据わったというか、落ち着いたというか。教育機関を経て社会に飛び込んでからというもの、世界が広がったように思う。

友人が趣味でボイストレーニングに通い始めたことを聞いた。そうやって、みんな自分の意志で決め、その足で行動をする様を見ていると、不思議とわたしにも出来るような気がしてくるのだ。根拠なんてなんにもないけれど。

わたし自身、自分が見えていなかった幼少期に比べて、今はだいぶ“自分”と仲良しになれたような気がしている。どうしてわたしはそう思うのか、そう考えるのか。言葉一つにしても、何故その言葉を選んだのか、という根拠のようなものが、少しずつ見えてきている。こうして、年齢を重ねていくのだなと思った。

かがみすととしての20代は、もうすぐ終わりを迎えてしまうけれど、これからも文章を書くことで、わたしは前を向いて生きていきたい。今よりもっと、自分と仲良くなって、そうやって生きていく。