わたしの宝物は、海岸で拾った石です。
母方の祖母の葬儀のため、祖母の故郷を訪れたときに立ち寄った海岸で拾ったものです。そこは碁石海岸とよばれ、碁石のように丸くつるっとした白や黒の石で覆われた海岸でした。太平洋の荒い波に揉まれ長い年月をかけてゆっくりと表面を磨かれた石は、個性豊かで、まるで祖母の生き様を表しているようでした。その日、気に入ったものをこっそり礼服のポケットに入れて帰りました。この石を飾って、祖母を思い出そうと思っていました。

帰り道。母は照れ臭そうに笑い、「私が送ったのよ」と言った

帰り道、母に「昔おばあちゃんからよく誕生日にキティちゃんのぬいぐるみがついた電報もらったよね、あれ、嬉しかった」というとすこし照れ臭そうに笑っていました。そのキティちゃんはキラキラの宇宙服を着ていて、頭はヘルメットを被っていました。色合いとデザインがとても好きだけど、ヘルメットが少し邪魔で、どうしても取りたいのに取れないところにモヤモヤしていました。手の中にあるのに顔が触れられないのが悔しかったのです。ぬいぐるみなのにデザイン上なかなか顔の柔らかさに触れないという小悪魔なキティに特別な思いがありました。
「あぁ、あれね、私が送ったのよ」

プレゼントの演出は、自分の母をたてたかったからだと思った

離れて住んでいた祖母に会う機会は多くて年に一度あるかないかで疎遠だった。それでも孫である私たちを気にかけ可愛がってくれていたことは知っていた。そんな祖母の無性の愛に感謝していたし、車に酔うのが嫌だとか言わずもっと会いに行けたらと後悔したりもしたが、祖母が亡くなって一番悲しんでいるのは母だった。母に話した祖母の思い出話が、母の演出だったと知ったとき、自分の行動を振り返った。祖母の故郷で石を持ち帰ったのは母の悲しみを共有したいためだった。帰りに思い出話をしたのもそうだった。母に見せるための演出だった。そして母もまた「祖母から孫」へのプレゼントを演出したのは自分の母をおばあちゃんとしてたてたかったからだと思った。

海岸の石は簡単に手に取れたのに、ガンはそうはいかなかった

祖母の葬儀から一年後、今度は母自身にガンが見つかった。検査で見つかった黒い影は肺からリンパに乗り脳にまで転移していた。そこにあるのは分かっていても取りたいのに取れない状態だった。キティちゃんのヘルメットがどうしても取れなかったのと同じにするのはどうかと思うが、母のガンは私にはもちろんお医者さんでも取れない。碁石海岸の石は簡単に手に取れたのに。

「健康だけが取り柄だね」と冗談で言っていた母がガンに脅かされた今、せめて動けるうちに旅行などやりたいことをやれたらいいが、コロナ禍の今、そう自由にはいかない。お見舞いに行って母に触れることもできない。

母と行くこのお店が、一緒に観る映画が、家族旅行が、いつ最後になるのだろう。家族旅行で沖縄に行った時、化粧品のサンプルと間違えて、お寿司の醤油をポーチに入れて持ってきた母。旅行に行く度におっちょこちょいを発揮し私のTwitterの良きネタになってくれた。最後の母のネタツイは何になるだろう。最後はいつか、必ず、やってくる。
わたしの宝物は、あとどれくらい輝くだろうか。