幼いころの私にとって、冷蔵庫は夢のような宝石箱だった。
おいしいご飯や野菜、フルーツ、スイーツがたくさん詰まっていて、大人だけが開けることを許されている大きな秘密の箱。
皆さんは生まれて初めて冷蔵庫を開けた瞬間を覚えているだろうか。
そんな瞬間は何気ない日常の一瞬で、特に記憶に残るようなことでもないのかもしれないのだが、私にとっての“その瞬間”ははっきりと記憶に残っていて、一人暮らしを始めた大学2年生の18歳のときだった。
もう少し正しくいうと、自分で冷蔵庫から好きなものを好きなだけ取り出して食べたという記憶なのだが。
こだわりが強く「太ること」に恐怖を感じているようだった母の姿
実家で暮らしていたときは、母の許可を得ないまま冷蔵庫を勝手に開けること、キッチンに立つこと、コンビニでお菓子を買うこと、ファーストフードやインスタントラーメンを食べることなどのこれらの行為は一切禁止されていた。
おやつについては、食べること自体を禁止されていたわけではないが、毎回お菓子を重量計で測り、母に確認してもらった後決まった分だけ食べられるという厳しい制限付きだ。
母はとにかく私の容姿の変化を嫌った。
しかし、内緒でコンビニでお菓子を買って食べ、ニキビができてしまったことがあったし、どんなに食事に気を付けていてもどうしても太ももの脂肪だけは落とすことができず、それだけで太って見えてしまう時期もあった。学生時代、ミニスカートを穿くために努力を重ねていた経験がある方は、あのもどかしい時期のことを思い出していただけるだろうか。
子供が成長するにつれ、母の食に対してのこだわりはさらに強くなり、ときには目の前で食べ物を捨てられたこともあった。そして最終的に母は、キッチンに立つことをやめてしまったのだ。“太ること”に恐怖を感じているようで、今思えばあのころから私は、毎日朝昼夜と体重計に乗る母の姿に違和感を感じていたかもしれない。
そんな母にいら立ちを感じつつも、なぜそんなに食に対して敏感なのかずっと疑問に思っていた。
私は「食べること」に対して厳しい母の過去を知った
ある日、母の実家に遊びに行ったときに大量のご飯でもてなされた。おいしそうに食べると祖父母が喜ぶので、出されたものを全て食べていたのだが「勝手に食べさせないで」と母に怒られている祖母を見て、悲しい気持ちになったのを覚えている。
白熱した言い合いの最中に突然、祖母が母に言った。
「あんただって、子供のころはあんなに太っていたのに」
衝撃だった。あんなに食に厳しくていつも細い、母が太っていた?
さらに、その年のお正月、誰から届いたものかわからなかったが、母宛の年賀状の“ブタ”という文字を見てしまった。送り先の相手も大人なので、おそらく悪口の意味では使っていなかったようだが、そこで私は幼いなりに全てを理解したのだ。
母が私に厳しく食を制限する理由を。
過去に母の容姿に対する他人の何気ない一言が、一生をかけて母の心を傷付けたのだ。
そして私もそのような経験をしないようにと、母なりに守ろうとしてくれていたのだろう。
誰かの心無い言葉が、人の一生を苦しめることもある
母が私にした過度な食事制限は大人になった今でも、幼いころの習慣として体に沁み込み、“太ること”への恐怖心はぬぐえない。
ただ私は、“食”を通して、別の大切なことを学ぶことができた。
それは、相手が冗談のつもりで発した一言が、その人を傷付け一生をかけて苦しめてしまうということだ。
さらに、人の気持ちがわかる人たちが、そういう心無い行為から守ってあげなければならないということ。
誰かの心無い言葉に苦しめられた経験がある人が、いつか誰かと一緒に暮らすとき、冷蔵庫の中が食べ物で埋め尽くされていても不安にならず、本当に自分が好きなものを取り出して笑顔で食べられますように。
母が今この世界のどこかで、好きなものを好きなだけ食べて幸せに生きていますように。