現在#BlackLivesMatter運動が活発なニューヨークに住んでいる。黒人差別撤廃運動を指揮する団体のソーシャルメディアのアカウントをフォローしたり、私自身も微力ながら運動に参加したりしている。

そんな中、「人種差別に反対するなら、資本主義にも反対していく必要がある」というような主張をよく目にする。それは、資本主義やその発展のために今もなお先進国に蔓延る植民地主義は低賃金の労働力を搾取するという構造を作り出し、その構造は人種差別によって成立しているから、という論だ。よって、人種差別を撤廃するには資本主義的な社会構造を変えないといけないという話である。

もっと詳しく説明すると、次のような主張である。
資本主義は競争を基盤としているため、格差ができる社会のあり方だ。しかも、その格差が実力主義という表向きの「顔」によって正当化されている。実際には資本を持つものがより資本を増やし、持たざる者に対して対等な賃金を与えずに労働力として酷使するシステムであって、全く平等に機会が与えられる実力主義ではないのに。そんな不平等なシステムである資本主義を人種差別が支えている。だって、対等な人間から搾取することはできないから。言い換えれば、今の資本主義を維持する限り、人種差別はなくならない。

私はこの資本主義と人種差別の不可分性を唱える論に大変共感した。一方で、これまで資本主義というシステムから利益を得てきたし、今もなお得続けている立場にいる自分が、資本主義を批判することに偽善性を感じていた。
経済的に不自由ない家庭で生まれ育ち、高い学費や生活費がかかるニューヨークという街で高等教育を受けられたのはまさに資本主義のシステムを享受しているからだと自覚していた。
だからこそ、人種差別には強く反対しつつも、それに伴う資本主義批判を自分がしていいものなのだろうかと考えていた。

資本主義の利益を享受していても、否定しちゃいけないわけじゃない

そこで、以前参加した大学のイベントで衝撃的な体験をしたことを思い出した。

私の大学はニューヨークという立地からか、人権や多様性をとても重視していて、少数派である黒人やアジア人、LGBTQ+と自認する学生たちが生きやすい場所を作るのにとても熱心なため、日頃からそれに関連したイベントが開かれていた。

そんな中、大学で「Decolonize the Imagination 想像を脱植民地化する(筆者訳)」と題したイベントが開催されると知り、常日頃から社会正義に関心のあった私は即決で参加した。

特に衝撃を受けたのは講師の第一声が「今自分が生きている社会システムに私は同意していない」だったこと。

自分がある程度利益を享受していようと、そのシステムの中にいわば「勝手に産み落とされた」わけであって、自ら選んだわけでも、同意しないといけないわけでもないということを、当たり前のようだが、そこで初めて気づかされた。

資本主義の利益を享受してきたからと言って資本主義という社会のあり方を否定できないということはない。こんなシステムの中で生き続けたくないということをはっきりと主張していいんだと知った。

社会の中の抑圧は、自分自身が作り出した無意識の価値観でもあった 

さらに、私は資本主義による利益を享受している一方で、資本主義によって無意識に他人を抑圧し、自らも抑圧されてきたことを反省する機会となった。

講師は続けて、抑圧には1)イデオロギー2)制度3)対人関係4)個人への内面化の4つの形態があると言った。

これは男尊女卑で考えてみるとわかりやすい。
イデオロギーは「男性の方が優れていて、女性は男性に従属的な立場であるべきだ」という考え方。それが制度化されると、女性の方が賃金が低かったり管理職についている人が少なかったりする現実ができあがる。また対人関係では、例えば、夫が妻に対して「外で仕事をせず家にいて欲しい」と言うことであるし、そういった価値観を内面化した女性は「私は女性だから家にいるべきだ」と考えるようになる。

このように抑圧は資本主義社会の様々なレベルで体現される。

だからこそ、まずは自分の中の抑圧的な価値観を「unlearn(学んだことを)捨てる」ことが、抑圧のない新しい世界を想像し、作り出していくのに不可欠であるという話だった。

私は捨てたい。高い給料や学歴で人の価値が決まるという考え方を

そして講師は私たちに「あなたは何を捨てたいですか?」と投げかけた。

私はしばらく考えて「資本主義的な価値観である、お金が稼げることや学歴が高いことが人間の価値であるという考え方を捨てたい」とノートに書いた。

小さい頃から学歴がとても重要だった我が家では、偏差値の高い学校に合格することに絶大な価値が置かれていた。それができなかった時は自尊心を失い、劣等感に苦しんだ。
また、それは自分だけでなく、他人にも向いた。成功=良い大学や高い給料という呪縛によって、学歴や給料を基準にして他人にも優劣をつけてしまうことが苦しいと感じてきた。

このイベントはそれを初めて言語化できた体験だった。

この経験を思い出した時、単一的な基準で優劣をつけ、著しい格差や人種差別を前提条件とする今の資本主義はやっぱり賛成できないと思った。今の自分がある程度豊かに暮らせているのは資本主義のおかげだとも自覚している。
しかし、その上で、私は、それでもこんな世界に生き続けたくないと強く表明したいと思う。