「あ、まただ」鏡に映る自分の顔を見る。唇の端っこが微妙に切れていて、大きく口を開くと痛みが走る。口角炎だ。私は食生活が乱れたり、ストレスが溜まるとすぐできる。

とりあえずビタミン剤の錠剤を水と一緒に飲んで「野菜食べないとなぁ」とぼんやり考える。そして、ストレスの原因かもしれない出来事に思い当たる。

厳しいマイルールを課して、いつも献立と食費が頭の片隅にいた

2年前、念願の一人暮らしを始めたばかりの私はワクワクしていた。真新しい調理道具、電子レンジ、炊飯器。これを機に自分の「手料理のレパートリーをできるだけたくさん増やすぞ」と意気込む。

しかし、数か月後私は後悔する。自分一人の為に自炊をすることがいかにしんどくて、面倒で、虚しいことか。料理をすることも一人でご飯を食べるのも全く平気だ。なのにそれが3食、毎日続くとなると段々気が滅入る。朝食のパンは残り何日分あるか?お弁当のおかずは?夕飯は何にする?冷蔵庫の食材何がある?

「お弁当は冷凍食品に頼らない」「コンビニに寄り道しないで安いスーパーに行く」「食材はその店で一番安いものを選ぶ」など、今思えば少々厳しいマイルールを私自身に課していたかもしれない。気づけば、1日中ずっと2週間分の献立と食費のやりくりの事が頭の片隅にあった。

なんで私は自分一人のご飯についてこんなに考えているんだろう。せめて定期的に訪れる友人や彼氏に料理を振る舞う機会があれば。実際に食べてもらう機会がなくとも「このお弁当、美味しそうだね」「この前、○○っていうお店に食べに行ったんだけど、すごく美味しかったの」などと職場の昼休みに話ができる状況だったなら。

パソコンに向かい淡々と口から流し込むだけって、食事を粗末にしすぎ

実際はそんな友人も彼氏もいなくて、食には全く興味を示さずランチはコンビニ弁当で済ませる同僚と顔を合わせるだけの日々だった。黙々と各々デスクに向かってパソコンのモニターを見ながら、淡々と口から昼食を流し込むだけ。電話が鳴れば一目散に受話器を取り、昼食を放り出す。私語なんて言語道断。本当に味わっているのか分からない。

「食事の時間なんて無駄。短ければ短いほど良い」と言わんばかり速さで食べてしまって、すぐに仕事に戻る。食事に気を遣っているこっちが惨めな気持ちになる。ただでさえハードな仕事で体が資本なのに、エネルギーを蓄え回復させる食事を粗末にしすぎてないか?

食べることが大好きな私は、食に全く関心を示さない人と仕事をするのは耐えがたいストレスだった。いつからか口角炎はなかなか治らず、治ってもすぐできる状況が続いた。

そして、ある日謎の腹痛に襲われ会社を早退し病院へ駆け込んだ。ストレス性の胃腸炎だった。その報告を上司にしたら「それって人にうつる可能性ってあるの?会社で何か対策しないといけないことある?」胃腸炎と聞いて、ノロウイルス等のウイルス性胃腸炎の方と勘違いしたのか、ストレス性と言ってるのに。会社として感染拡大防止に努めるのは当然の事だが、この回答はさすがに呆れた。もうダメだ。

人は裏切るかもしれない。でも、「食」は裏切らない

昼休憩中も電話応対を当然のようにさせて昼食もゆっくりできない会社から、とにかく食べる事に興味深々好奇心たっぷりな人々が大勢いる会社に転職して環境が変わった。

飲食店という職場だからこそかもしれない。新メニューの試作を味見しながら意見交換したり、誰かが旅行や帰省でお土産を持ってきた時は、皆我先にと飛びついて一瞬で無くなったり。

転職活動中、とにかくストレスの捌け口が食べることだった私は「人は裏切るかもしれないが、食は裏切らない」という持論に行き着いた。それは、あながち間違っていなかったみたいだ。

休憩は交代制で場所は狭い裏方のスペースだったが、休憩時間を削って電話応対しなくてもいいし、同じタイミングで休憩に入った人と自由にお喋りもできる。一度、私の休憩中に同僚の方が忙しそうだったので少し手伝ったら「貴重な休憩時間なんだから、座れる時に座ってのんびりしないと」と言われて驚いた。

食べることで元気が出て、元気になればまた働く。働いて疲れてお腹が空いたら、また食べる。当たり前のことだけど自然の摂理に従うと、こんなに気持ちが軽くなるとは思いもよらなかった。

気づけば口角炎はしばらく出来てないし、ビタミン剤の蓋も触ってない。いつの間にかお弁当にちゃっかり冷凍食品も入れてハードルを下げている自分がいる。さあ、今日もいっぱい食べてぼちぼち頑張ろう。