あなたもわたしも、あの子も「かわいい」。だから、ちゃんと見てね
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先に断っておきたいことがある。
これから出てくる彼女のことを、わたしは決して嫌ってはいない。
わたしには、長い時間を共に過ごしたルームメイトがいる。
これは出会ったばかりで、まだお互いに相手の性格を知らない頃のお話だ。
ルームメイトの1人が笑いながら言った。
「隣の部屋の子たちに比べて、うちらの顔面偏差値低くない?(笑)」
面と向かって、容姿を貶してきた彼女にビックリした。
人の顔にまで偏差値をつけて比較するデリカシーの無さには、不快感しか感じなかった。
何度も何度もその言葉を思い出しては、傷ついた。
周りも含めて自虐する。
時間を共に過ごす中で、これがその子のクセなのだと気がついた。
“うちら”という言葉を自虐の言葉とセットでよく使われる。
「うちらには似合わないよね(笑)」
「うちらにはできないよね(笑)」
もそれで「かわいいな」と思うよ。
冒頭で述べたように、わたしは彼女のことが嫌いではない。
むしろ大好きだ。
良いところもたくさん知っているから。
彼女のことが大好きだから「かわいい」「愛くるしい」と思うのだろう。
だから、もしも誰かが彼女の容姿を貶すことがあったなら、わたしは鬼のように怒る。
「何もわかっていない」と憤慨する。
だから、彼女がわたしやわたしの友達を貶すのには、怒りを覚える。
わたしが思う“かわいい”の価値観は、彼女の中にはないのかもしれない。
彼女の自虐が彼女にもたらす安定を、わたしが理解できないように。
でも、どうかわかってほしい。
わたしはあなたを「かわいい」と思う。
あなたが嫌うあなたの体のパーツ、わたしは好き。
大好きなあなたに付いてるものなら、どんなものでも好き。
その目も鼻も、口も、体も、全てあなたのものだから。
あなたは、わたしが大好きなあなただから。
あなたも周りに対して、そう思ってくれたらいいな。
よく見てみて。
この子もあの子も、かわいいよ。
わたしたちの友達、すごくかわいい。
お願いだから、わたしの愛しい人たちを否定しないで。
「それな~(笑)」
周りの対応は、大人だった。
しかし、わたしにはできなかった。
とりあえず、一緒に笑っておいた。
笑えても、言葉で同意は示せなかった。
いや、示したくなかった。
そのうち、彼女の自虐に笑えなくなった。
自分や友達を貶して、どうして笑えるのだろう。
一時期は、ふと心に刺さる矢に怯えて、彼女と話すことが苦痛になった。
どうして、わたしは彼女の発言にこんなにも傷つくのだろう。
容姿について、たくさん考えた。
彼女がかわいいという女優さんと、自分の顔を比べてみた。
世間で言う“美人”が、なんとなくわかった。
たしかに、わたしは“美人”ではない。
彼女も、違うようだった。
それでも、わたしは彼女のことを“かわいくない”とは思わない。
笑うとあらわれる、八重歯も。
アイプチで理想の二重にした、目も。
「かわいいな」と思う。
でもね、すっぴんのときの、一重の目も。
それもそれで「かわいいな」と思うよ。
冒頭で述べたように、わたしは彼女のことが嫌いではない。
むしろ大好きだ。
良いところもたくさん知っているから。
彼女のことが大好きだから「かわいい」「愛くるしい」と思うのだろう。
だから、もしも誰かが彼女の容姿を貶すことがあったなら、わたしは鬼のように怒る。
「何もわかっていない」と憤慨する。
だから、彼女がわたしやわたしの友達を貶すのには、怒りを覚える。
わたしが思う“かわいい”の価値観は、彼女の中にはないのかもしれない。
彼女の自虐が彼女にもたらす安定を、わたしが理解できないように。
でも、どうかわかってほしい。
わたしはあなたを「かわいい」と思う。
あなたが嫌うあなたの体のパーツ、わたしは好き。
大好きなあなたに付いてるものなら、どんなものでも好き。
その目も鼻も、口も、体も、全てあなたのものだから。
あなたは、わたしが大好きなあなただから。
あなたも周りに対して、そう思ってくれたらいいな。
よく見てみて。
この子もあの子も、かわいいよ。
わたしたちの友達、すごくかわいい。
お願いだから、わたしの愛しい人たちを否定しないで。
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