実はわたし、怒るのが上手じゃない。もちろん怒りの感情が全くない訳じゃなくて、ただそれを表現するのが大の苦手なのだ。

『まりもっこり』みたいな三日月目と上がった口角のせいで昔から笑ってもいないのに「なに笑ってるの?」と聞かれることが多かった。わたしの顔は、怒るのに圧倒的に向いてないけれど、それでも怒らなきゃいけない時っていうのは絶対にある。

残念ながらこの社会には悪意のある言葉を投げてくる人や嫌がらせ行為をする人はいるから。そういうことをされた時に「こういうことをされて自分は嫌だ」とはっきり言えて、かつそれを相手にしっかりと伝えることができるようになりたい。

本気で怒っていたけど、わたしの顔や声は彼を楽しませていた?

中学1年生の1学期だった。出席番号順に並んだ机で、わたしの右横に座っていた男子に悪戯をされたことがあった。わたしの通っていた中学校では、生徒一人ずつロッカーが割り振られるのだが、貴重品管理などの観点から「南京錠をつけるように」と先生から言われていた。

わたしは暗証番号を変えられるタイプのダイヤル式の鍵を持ってきていた。どんな経緯でわたしの鍵が彼の手に渡ったのかはっきりと覚えていないのだが、確か「見せて」とか言われたのだと思う。わたしの鍵は彼に暗証番号を変えられた上に、勝手に彼のロッカーに着けられていた。今となっては、わたしのこと好きだったんじゃ?くらいの気持ちで受け入れられるが、当時のわたしにとっては本当に嫌な出来事だった。

放課後の貴重な時間を彼なんかに使っている暇は無かったし、その鍵は買ってもらったばかりだったから。「やめて」「返して」など、何度言っても彼は意地悪に笑うばかりで全く取り合ってくれなかったし、むしろ言えば言うほど彼を楽しませていたようだった。わたしは本気で怒っていたけれど、わたしの顔や声のトーンは「もっと遊んで」と言っているように聞こえたのかもしれない。どうにもこうにも仕様がなくて、禁じ手「先生に言うよ」を発動、そして実際に先生を呼んだので、その場はなんとか収まった。彼は謝ってくれたけど、わたしの中にもやもやは残った。

楽な環境を自ら選択しているけど、社会に出たら同じようにいかない…

どんなに怒ってみても、相手にちゃんと伝わらなくて、わたしは無意識のうちに怒りという感情を避けて行動するようになった。嫌なことをされてもヘラヘラ笑って、その場を丸く収めようとする癖がついた。

人付き合いに関しても、高校生になってからは本当に親しくて信頼している人としか付き合うことはなかったし、大学生になった今でもそうだ。「この人ちょっと苦手かも…」と思ったらあまり深く付き合うことはしない。

これは自分の精神衛生上すごく良い方法だったけれど、そうやって自分にとって楽な環境を自ら選択していられる時間は、もう長くはないだろう。これからわたしは就活をして、どこかに就職して、社会に出なければならないからだ。

社会に出たら、好きな人とだけ付き合っていればいい訳ないし、人付き合いは選べないので、嫌な経験をすることは避けられない。大人だから必殺技「先生に言うよ」もできる訳がない。

嫌なことは「嫌!」「やめて」とちゃんと言えるようになろう

怒ることは無理にすることではない。だから、怒るためにもともとの顔や声を変えるトレーニングをするとか、そういうのは何か違う気がするけれど、嫌なことは「嫌!」とちゃんと言えるようにならなきゃダメだと思う。

それは相手にとっても、自分にとっても必要なことだから。相手が悪意無くやっていることだとしたら尚更そうだ。言わなければ相手は同じことを何度も悪気無く繰り返すかもしれないし、その度に嫌な思いをするのは自分だ。

“相手に伝わる怒り方”について、ここで結論を出すことは出来ないけれど、これだけは言える。誤解されることを恐れて怒らないよりも、たとえ誤解されても「やめて」と怒り続けることの方がよっぽど良いということだ。少なくとも「嫌だ」という意志表明を言葉でしているという点で。

だから、わたしはこのキュートな顔で何度でも怒ろうと思う。「やめて」と言い続けようと思う。社会が変わるまで。