子供の頃からずっと人見知りがコンプレックスだった私。小学生のとき、周りの子は他の子と違う私に、軽蔑の眼差しを向けていた。そのため、気が付くと教室の端にちょこんといる。私はそんな子供だった。

中学では軽蔑視されることは少なかった

それは中学になっても変わらなかった。幸い私は公立の中学校に進み、小学校時代の同級生はいたので、私の人見知りで教室の端にいるような行動に慣れているというか変だと思って軽蔑視をするような人は少なかった。それに、小学生の頃からの付き合い(親同士の関係もあるが)もあるので下の名前で呼んでくれる人が多かった。

それでも、「なんか喋ってみてよ、『あいうえお』とかでもいいからさ」とか絡まれることもあったけれど。正直それに乗っかってもよかったと思うが、普段全く喋らない人から「あいうえお」という簡単な言葉だとしても口から発したら、それこそ「えっ、喋れるんだこいつ」と思われて蔑まれたりするかなと思うと怖くてできなかったのを覚えている。
きっと当時の私は「クラスメイトと喋れないといけないくて、それができない私だからこそ馬鹿にされているんだろうな。そして余計に喋りでもしたらさらに、蔑まれてしまう」と感じていたんだろうと思う。しかし、上記にも述べたように中学生の時はあんまり私のことを軽蔑するような人もいなかったし、ほとんどの人が下の名前で呼んでくれたので、安心していた。

私は「教室の端にいる喋らない人」のまま卒業式を迎えた

その安心が壊れたのは高校生の時。同じ中学からの人が少なく、かつ1年次のクラスには1人もいなかったため、行動を以前と全く変えなかった(変えることが出来なかった)私を変に思わずに受け入れてくれる人はいなかった。一緒にお昼を食べてくれる人もいなかったし、クラスメイトのほとんどが「苗字+さん」呼びをした。悪いと言いたいわけではない。でも、私はすごく疎外感を感じた。

それは2年に上がっても続いていたため、時々教師にも「(クラスメイトの)誰かと仲良くならないの?お弁当とか一緒に食べたり。○○さんとかはどうなの?」など言われることがあった。その時、変に期待をして「提案」された子と過ごした時期もあったが、互いに口下手だったためか、関係を持てたことに関する満足感を得ることができずその関係も私的にはすぐに終わった。

しかし、その提案を行った教師はその子と私が仲良くなって「友達」になることを求めていたのか、授業でも班作りでもわざとらしく2人をくっつけていた。私はその都度、嫌気を感じていた。でも、その教師が2人をくっつけて管理することは、おそらく利便性が高いことだと思っていたのだろうなと、私は当時「わかっていた」ため、なにも言い出せなかった。言い出したところですぐにそれが変わるかと言われるときっとそう簡単ではなかっただろう。だから、「もうその子とは関わりたくないんだ。関係は終わりにしたいんだ」とも言えず、言葉にしないで態度で教師に反発した。そして、私は「教室の端にいる喋らない人」のまま卒業式を迎えた。

友達っていうものが何か、自分の中で明確な答えがない

しかしながら現在、大学3年生の私は、多くの人に恵まれ学生生活を送っている。それは、大学入学時から、高校生の時とは変わって、周りが私に興味を持ってくれてたくさん話しかけてもらったからだと思う。
自分は周りへの対応という面では変わった気がする。でも、中身は自分から話すこともできないで、気がついたら一人になってしまう自分のままだから。外側から見たら変わってるかもしれないけど、自覚してる中身は変わらない。

今では、普段の雑談だけでなく、授業の相談をしたり、はたまた就活の相談も。なんだって話せる「友達」がいる(と思う)。しかし、あくまで「いる(と思う)」に過ぎない。そうカッコ書きした理由は、友達っていうものが何かということが自分の中で明確な答えがないから。そして、いつ周りにいる人と疎遠になるか、絶交されるか不安になっている自分がいて「こんなに図々しくて、遠慮がない私は、相手から嫌われたりしないか」と思い続けているからだ。(まるで『論語』の中の「小人」だ)

上にあるように、高校生までの私はまだここにいる。つまり、いつ関わってくれている人に嫌われ、縁切りされるかわからず、そうなってしまったら「教室の端にいる喋らない人」のままの自分は喋れる人がいなくなって、結果一人になるということ。そんなことを考え、不安を感じている私は人を信用していないんじゃないか、そんな思いにも駆られる。だから今「友達いないからさー笑」と言うんだろうな、嫌われるのが怖くて、その点において人を信用できない私を遠まわしで表現しようとして…。
でもある時、そんなことをつぶやいたら「あれ?うちら友達じゃないの?」と言ってくれる子がいた。すごく嬉しかったし、すごく安心した。

嫌われるのが怖くて、他人を信用していない自分。そんな自分は嫌じゃないけど、少しずつ人とのかかわりを通して、仲が良くなった他人に対する信用度を高めていこう。きっと自分なりの友達の意味が見つかるはずだ。