上野先生と話すにあたり、相手から引き出したい質問があった。それは上野先生が対談集でよく使う「求めているのは社会学者としての意見?それそもフェミニスト?または女性として答えればいいの?」というような“ある種の逃げ”が感じられる返答だ。

「分けて答えるのやめてください」と鮮やかに切り返す私、ぐぬぬと真顔になる上野先生、までイメージトレーニングは完璧だ。クレバーで切れ者の私を実現すべく颯爽とインタビューに向かった。

なんてことはあり得ず、実際は指先が心臓になりそうなくらいの緊張だった。華麗さなんて1ミリも感じられない私の泥臭い突きを、上野先生はひらりひらりとかわしていく。しまいには、「イロモノという言葉なんてよく知っているね」と褒める。その瞬間、「やっぱりめちゃくちゃ舐められている!」と怒りを通り越して嬉しくなってしまった。

これはものすごく私への期待値が低いぞ、当たり前か。

「野蛮な靴発言」に切り込んだが開き直られる

余裕の笑みを崩すことは早々に諦める。しかし、そのままで帰るわけにはいかないのだ。舐め腐られている分相手の虚をつけるかもしれないと繰り出したのが、#Kutooに関してのツイート、ハイヒールは野蛮な靴発言で炎上していた件だった。こんなボヤ騒ぎなんて本人はなんとも思ってないだろうことは予想されたので、まっすぐ切り込んでいくことにした。

上野先生の著書を持ち出し「過去の自分の言動と矛盾しているのでは?」と指摘すると、「人に一貫性なんかない。私は変わったのよ」と返ってくる。ええー、それを言っちゃおしまいじゃないですか。

「ことばで自分を表現する表現者には、読者に対する責任がある」と著書で書いていたのはあなたでは?と内心思う。まあ過去の間違いを認めて自分を更新していくのも上野先生がやっていたことだから一貫性なんてなくていいのかもしれないけれど。

それでも、上野先生がハイヒールを批判する筋合いはないのではないかと食い下がると、「私が正しさの基準にならなきゃいけないの?」「フェミにも多様性があっていいのでは?」「私が経験に基づいて思ったことを発言して何が悪い?」としっぽと真意をつかませない挑発的な開き直り方だった。

フェミニスト同士のマウントの取り合いにも辟易

野蛮な靴発言について聞きたかったのはわけがあった。フェミニストのイメージが悪くなるだろうと思ったからだ。

私はフェミニズムに疲れていた。SNSで#Metoo、#Kutoo、などの素晴らしいムーブメントが起きている裏で、うんざりするリプライの応酬を日常的に見る。またツイフェミが怒ってるよ。このようなミソジニーに溢れた呟きにも、学術的な裏付けに基づいて理路整然と反論する人にも、なおも批判してくる顔のない声にも、その全てに疲れた。

女性を解放しようという思想に反論したいわけではない。SNS上のジェンダー戦争にもう勘弁、といいたい気持ちだ。フェミニスト同士のアカデミックなマウントの取り合いにも辟易していたし、そのような人の都会に生きる高学歴の強い女感に引いてしまう。一方、勉強した成果を披露して鼻を明かしたいという自分もいた。啓蒙したいわけではないのに、無自覚にそうしている時もあった。

疲れすぎて、フェミニストと名乗るのに躊躇するくらい。逃げなんじゃないかと自分を責めた。

怒りのエネルギーを持ち続けることが辛い

女性蔑視でいっぱいの広告や、無知で無自覚すぎる差別加担者のYoutuberなど、批判するべき対象は山のようにある。声をあげ、間違っている社会へここに怒っている存在がいる、と示すことはもちろん重要だ。

でも、真摯に社会に向き合い、怒りのエネルギーを持ち続けることが辛い。できることなら対話したいと思い、どうすれば相手が穏便にこっちを向いてくれるのかを平和的に考えたかった。

しかし、待てよと。
上野先生の軽やかに「言いたいことを言って何が悪い」と胸を張る姿勢と、私のどうしたら平和的な解決ができるのかという歩み寄りの腑抜けた方針を比べると、後者が圧倒的に相手におもねっている。

不当な扱いをされたら怒るのは当たり前だ。怒ってはいけないという自らへの抑圧と、この諍いを沈めなくてはいけないという焦り。これらは社会から求められてきた女性の妥協とケアの役割そのものでは?

未来への希望のためでも、自らの消耗は耐えられない

しかし私は「上野千鶴子」にはなりたくない。もちろんこの社会の礎を築かれてきた先輩として尊敬しているが、なりたくない、いやなれない。怒りと生きづらさのエネルギーを燃料に動き続けるのはもう嫌で、たとえ未来へ投げかけられるのが希望であったとしても、自らを消耗するのは私の軟弱な精神では耐えられないだろう。だが、みんな仲良くしようよ!と仲介役を買って出るのもなにか違う。

地球温暖化問題のようにフェミニズムも取り組めないか

今の私の理想は、エコ活動のようなフェミニズム。日常的にできるけどちょっとだけ面倒な取り組みだ。ゴミの分別なら、誰でもできるでしょう?アカデミックに理論武装する必要はない。みんな強くなれと言わずとも、普段の自分でトライできるもの、そして男女関係なく男性も女性もLGBTQも、人間である限り当事者でない人は存在しないもの。そのような、柔らかいようでいて切実な(だって地球温暖化は切実な問題で、当事者ではない人はいないですよね?)フェミニズムをどう実現していけばいいのか。

まだ答えは出ない。でも、挑発的にキャッチーに、男社会を翻弄することでしか自らの苦しみに目を向けさせることができなかった世代があったからこそ、私のゆるさがあるのは確かだ。それがわかった上であえて言いたい、バトンは受け継ぐが、走り方は変えさせてもらう。ゆるく着実に実行できるフェミニズムを日常に落とし込む方法を模索したいのですが、フェミニストが多様なら、これも一つの答えですよね?上野先生。

上野千鶴子さん×かがみすと

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