私は自己肯定感がない。可愛い服は自分に合わないと思い込んでいた。気が付くとクローゼットの中には、着やすいデニム・黒・白の三種類が埋もれている。そこから適当に取っても、それなりの服装になるから。そうやって生きてきた。無難に、普通に、自分を殺して、誰にも嫌われないように……。

誰にも嫌われない服を着て、誰にも嫌われない私になりたかった。

友達とショッピングモールを歩いていた中学生のとき、ロリィタが似合っている人を見た。そこから「一度は着てみたい!」と憧れている。

当時は、挑戦する勇気がなかった。私にとって、ファッションとは「周りに嫌われないために、少しでも普通になるため」だから。

その理由は両親にある。母はどう頑張っても、褒めてくれない。父は行動を起こそうものなら「お前には無理」とだけ、言い残す。そういう否定のダブルパンチを受け続けて、自己肯定感が低くなった。

誰にも嫌われない服を着て、誰にも嫌われない言動をして、誰にも嫌われない……私になりたかった。

必死に自分を押し殺して普通を演じたけれど、誰かに好かれることもない。

ただやってくるのは、自分の人生を全うできていない虚しさと、自分の好きなことが分からない悲しさと、このまま何も成し遂げることが出来ず人生を終えるのだろうなという諦めだった。

「自分の好きな服を着る」ことが与えてくれたもの

だけれど、そんな生き方は高校1年生のときに不登校という形で崩れていった。高校を卒業したら、引きこもりになった。20歳を超えた現在も、在宅ワークで完結するWebライターをして生活をしている。

両親には「遅めの反抗期」と揶揄されたが、「本来の私を取り戻した」それだけ。

そして、22歳になった現在―――

一通のメールがきっかけで、私の自己肯定感に大きな変化が起きることとなった。そのメールは、あるファッション雑誌の制作スタッフの一次選考に通過したお知らせだった。大好きな雑誌。手元にあるだけで、気分が明るくなれた宝物だ。それを自分自身が創ることができる一歩を踏み出せたなんて、嬉しくてしょうがなかった。

二次の課題テーマは、自分の好きな世界観について聞いてくるものだった。そのテーマを見た瞬間、ロリィタを着たいという中学生の夢がよみがえってきた。私の中でイメージはあるのに、実現するのが難しいと感じた。服は決まっているとして、カメラ、ヘアメイク、撮影場所は未定だし、それら全てを雑誌に合うようにして、かつ私の好きな世界観が伝わるようにしなければならない。

一式揃えるには、最低でも五万円はかかってしまう。すぐに買う勇気は湧いてこない。そこで、ロリィタが好きな友達に頼んでみると快く貸してくれることになった。

ブリーチをした透明感のある髪色で大好きなロリィタを着て、自分の好きなファッションを着ると気分まで明るくなった。
見た目が変わっただけなのに、鏡に映っている私なら、自信を持って歩ける。ファッションの力ってすごい!!!感動が止まらなかった。

似合わなくても良い。好きなものを身につけられる自分でいたい。

楽しく明るい気分で終えた撮影だったが、実際に写真をチェックしてみると、私の顔だけが浮いているように見えた。可愛い服と背景なのに、自分自身の顔はそれらに合っていない。「私にロリィタは似合わなかったのか」と少し残念な気持ちになった。

撮影後数日は「どうしても似合うようになりたい」と思った。でも今は、好きなものを身につけるだけでこんなに気分が上がるなら、似合わなくても良いと考えている。

ロリィタは、お茶会に行くときだけ、とびきり可愛い私でいられるように服に合わせて少しずつ取り入れてみよう。普段は着たい系統の服屋さんから、似合う服を探してみようかな。そうやって少しずつ、洋服を通して自己肯定感を上げていきたい。