「たからもの」
この文字を見て、迷ってしまった。自分のたからものだなんて、真面目に考えたのはいつぶりだろうか。最低でも軽く数か月は経っている。

不器用な私は、恋人ができると「恋愛至上主義者」になっていた

恋人がいた時は、秒で「恋人です!」と威勢よく答えていたんだろう。私は恋人ができると、どうやら私のほぼすべて、時間や労力、気持ちをその人に注いでしまうみたいだ。私は恋をすると、いわゆる恋愛至上主義者、一種の無敵状態になり、冷静とは程遠い場所に知らぬ間にワープする。とにかく突っ走る。はっと気づくと、時すでに遅しで「あれ、私こんなにも相手に捧げてたのか、どうりでしんどくなるわけだ」と疲労や仕事、自分自身をそっちのけにしていることに目をひん剥いたりする。

文字通りいつも恋人のことを考えてしまう。「あの人、これ好きそうだな」とか、日常すべてに恋人を侵食させる。恋愛脳丸出し、気分は不定期に乱高下、ジェットコースターのごとく目まぐるしい。まことに不器用すぎる。

過去に、私から注がれるものに耐え切れず、キャパオーバーし、お別れしてしまった人がいる。依存状態に陥ることはよくあった。「二人で一つだよね」みたいな、こっぱずかしいやりとりだってした。このこっぱずかしさこそ恋愛だと思って過ごしてきた。それなのに、ことごとくうまくいかず、今日に至る。

なんでうまくいかなかったのだろう?

すべてを恋人に捧げたくて、いつも自分自身は後回しにしていた

私は、恋に落ちるとその度「その人のために生きよう」としていたのだと。その人と私の人生とが交わることが、すべてのような極端な思想を毎回のように持った。恋をする前は自分が人生の中心軸にあったのに、恋をすると中心軸が恋人に早変わりしてしまう。肝心な私はどこかへ追いやられてしまう。すべての中心に恋人が鎮座して、その周りで私があくせくするようになる。私の人生を、その人と交わらせるために必死になる。

いつの間にか、未来もその人を中心に描くようになる。固執する。「二人の未来」という、光だと信じ込んでいるものにひたすらすがりつく。それが光かもわからずに、妄信的にしがみつく。そうして、私は疲れていく。

疲れてしまうと、別れのカウントダウンを自覚的に始める。
そして、何かの拍子に気持ちが冷めたり、関係が破綻すると途端に未来が見えなくなったりする。その人を軸にしてしまった私は、方位磁針を失った旅人のようにあてもなく歩いた。ゆっくり歩きながら、私が好きだったものを一つ一つ拾いなおすような、自分を取り戻していく感触をやっと得た。「そうか、これが私の方位磁針だ、私を突き動かすのは『私』なんだ」と。

恋をお休みしていたある日ふと、覚悟がついたような心地を覚えた。「私は、まず一人で自分のために生きていけるようになってから、未来の恋人と二人の未来を描くようにしよう」と。

たくさん傷ついて大転倒もした。でも、恋の傷跡は「私の勲章」

あらためて、今の私の“たからもの”について考えてみた。
今?何だろう。大切なもの、言葉、大切な人たちは数えきれないくらいだ。でも、今はどれもピンとこない。

あっ、今の私はここに至った“私”こそが、たからものなのかもしれないと。ここに来るまで予想のつかない傷つき方をしたし、馬鹿正直に正面衝突も大前転もした。派手に転んできた。 どれも本当に痛かった。
それでも、間違いなくどの傷跡も私の勲章になっている。時間がかかってしまったけど、ここに来れたんだ。

あの気づきに至る、“今日までの私”こそたからものだ。

たぶんきっと、恋したらまた中心軸を恋人にすり替えそうな気がする。だけど、次は気づいて修正すればいい。

懲りない“私”を、今なら少し好きになれそうだ。この人生の主役は私。後ろも振り返るけど、今を歩いてく。“私”という最強のたからものを携えて。