恋愛依存症だった。
恋愛依存症というよりも、ストレート同士の恋愛によってもたらされるジェンダーロール依存症だったのかもしれない。

容姿も性格も「可愛く」なくちゃいけない、という呪い

「女の子らしく可愛くならなきゃ」は、私にとっては呪いだった。
一年ほど前、私は男性の視線を気にして、自分の容姿を否定していた。フェミニズムのことになると熱くなる性格も、好きではなかった。外見も中身も「可愛く」なければ恋愛はできないと信じ込んでいた(まるで、やることなすこと、無意識のうちに男性の顔色を伺っているようだった)。

完璧な「彼氏」と完璧な「彼女」を求め、きれいに理想を半分こ

そして私は当時、「私を性的に魅力的だと思ってくれて、同時に私の中身も大切にしてくれて、かっこいい彼氏」を求めていた。
かっこいい彼氏。つまり、賢くて思いやりがある人。愛の言葉をたくさん伝えてくれたり、美味しいお店に連れて行ってくれたりする、素敵な男性。
これは随分と、記号としての「男」を見ているようだと、今なら分かる。

そういう意味で完璧だった彼氏と付き合っていた時、その「男性像」と釣り合うべく、私はもれなく「彼女」として行動していた。理想をきれいに半分こだ。会うたびにメイクはばっちり、この人の隣に立つのに相応しいかを気にする。ヒールを履く。できる限り、穏やかでいれるように心がけた。気持ちよく奢られる。相手を立てる。今思い出すと笑いがこみ上げてくる。
あのように行動していた私は、一体誰だったんだろう。
今の私が変わったというより、あの時の私が仮面をつけていたとしか思えない。

「いい彼女」でない私は「失敗作」だと信じていた

心の中に、「恋人関係になったら、彼女らしく行動しなくてはいけない」という思いがあった。
「いい彼女」にならなくちゃ、という考えが身体全体を支配していた。
「いい彼女」に当てはまらない私の性格や個性は、全て「失敗作」なのだと考えていた。

「いい彼女」なのに愛されなかった時は、さらに自分を分析して、自分が悪かったのだと反省した。自己肯定感なんて、あるはずがなかった。

そして半年前、彼氏に振られた。その時、「だってゆあはいつも恋愛のことを考えていると思うけど、俺は違うから……」ともごもご言われ、「ええ?」と驚いたことを覚えている。私、勉強でも結果出してるし、会うのは週に一回くらいだったじゃん……メッセージも、普段からやりとりするっていうより、会う予定を取り付けるだけだったじゃん……とか。でも、何を伝えても彼の心は変わりそうにないので、別れを受け入れることにした。

勉強に運動、目まぐるしい毎日の中で気づいた、満ち足りた心

次第に授業が忙しくなり、一週間に最低でも150ページは英語論文を読む日々になった。文字通り、時間がない。デートをしている時間も、そもそもデートをする相手を探す時間も気力もない。朝は7時すぎに起きて、夜は10時過ぎに寝る。ものすごく規則正しい生活=自炊をして、勉強とジムが中心の生活を送っているうちに、気づいた。

恋愛は、そんなに必要じゃなかったみたい。
全て自分で自分のことを管理する生活。自分の時間も、エネルギーも、自分の成長のためにしか割けないような忙しさ。
その時の私は、人生の中で一番満ち足りていた。

「いい彼女」を演じて得た評価は、私の人生には必要ない

いくつか恋愛をして、ようやく体感として納得できた。
私にとって、恋愛は人生のオマケみたいなものである。
恋愛的に高く評価されたから、または高く評価される回数が多いからと言って、私の生き様が良くなるわけではない。
自立することを通して、一番大切なのは自分の人生でやりたいことなのだと気づけた。そして、「自分の人生に求めること」の中から「恋人」を消した。

「いい彼女」を演じるための小細工から自分を解放する。そうしてようやく、完全体の人間としてのいい人生を歩めそうな気がしている。