きょうで、「かがみよかがみ」は1年を迎えました。編集長の伊藤です。
新規事業のテストとして始まり、目標数値をクリアしなければ半年で打ち切り…!というなかでスタートしました。なので、無事1年を迎えられたことをうれしく……というよりは、ちょっと驚いている&頼もしく思っています。これも、エッセイを読んだり、投稿をしたりしてくれたみなさんのおかげです。本当にありがとうございます!
「尖ったサイト」と言われるのはなぜだろう?
このサイトを見た方の多くから「尖ったサイトだね」と言われます。
私は、新聞記者出身なので、たくさんの人に出会って、話を聞いてきました。「100人の声をとれるまで帰ってくるな!」とか、住宅地図を渡されて「このエリア全員の話を聞いてこい!」と、言われたこともあります(ちゃんとやったよ)。
たぶん、仕事柄、たくさんの人に話を聞いてきたと思います。
なのに、ここに集まる投稿には「そんなこと考えてた人がいたんだ!(言われてみれば私も心当たりあるぞ)」「初めて言語化されてるのをみたぞ!」というものばかりでした。
だからこそ、マイクを向けられるから話してくれる言葉と、自分からペンを取って、書き綴る言葉では、違いがあるのかなと思うようになりました。
強制されたのではなく、発せずにはいられなかった、自分からあふれてしまった言葉たち。
その言葉たちは、今まで表に出てこなかっただけで、多くの女性たちが抱えていたものだったのかもしれません。
届いたエッセイのなかには「ここで初めて話した」といってくれるものもありました。そして、そこに綴られた体験や思いに対して、「これ私が書いたかと思った!」「そう考えてたのは私だけじゃなかったんだ!」という共感の声をたくさんいただきました。
この「尖っている」と見えるかもしれないことは、もしかしたらあなたが自分の心に押し込めていただけで、多くの人が経験してきたことなのかもしれないなと思うようになりました。
そうした投稿者の「言葉」で出来ているサイトです。あなたの言葉が、誰かを支えているかもしれません。
話してくれた言葉が否定されない、安心感のある場所をつくりたい
では、編集部ができることはなにか。
書いてくれた人たちの勇気に応えること。そして、「話してみてよかった」と思える場所をつくること。そう思って、 勇気を出して発したその言葉が否定されない、安心感のある場所を守るように心がけてきました。
ただ、まだ「尖ったサイト」と言われるということは、ここに書かれていることが、そして、20代の女性が自分の考えを書く、ということが多数派ではないということでしょう。だからこそ、賛否がまきおこるのかもしれません。それでも、毎日毎日たくさんのエッセイが寄せられることに、驚きと、使命感を感じています。
日々思う違和感やもやもやに、「こういうもんだからしょうがないじゃん」「私もそうやって我慢してきたんだから、あんたたちも我慢しなさいよ」と、後輩たちへと先送りし、積み残していきたくはありません。だからこそ、みなさんがくれた言葉たちを一緒に届けていきたいと思います。
もちろん、一朝一夕に社会が変わるとは思っていません。5年後10年後……もっと先かもしれません。その時にこのサイトがなかったとしても、今の違和感を言語化することは、未来の女の子たちの生きやすさにつながっているはずだと私は信じています。
未来のための種まきの時期!前を向いて、元気にぶちかましていこう!!!2年目もどうぞよろしくお願いします!