私は「Hカップな広告マン ありぺー」という名で、SNSを中心に活動している。名前の通り広告代理店で働く会社員でありながら、SNSでは大好きな自分の体を水着姿・下着姿でアップしている。水着姿の写真をなにげなくインスタグラムにアップした際に、大きい胸がコンプレックスの女性から「堂々とした姿に勇気をもらえました!」とメッセージをいただいたことがこの活動のきっかけだった。

でも、そんな私も実は大学生の頃までは自分の胸が大嫌いだった。周りの反応からしても、私が自分の胸を嫌いになることは当然のことのように思えた(と、少なくとも当時の私は思っていた)。

「その胸、絶対コンプレックスだよね」
高校生の頃付き合っていた人に言われた言葉。

「新しい服、買ってやろうかと思ったわ」
胸が目立つ服を着ていた日に先輩に言われた言葉。

「そこまで大きいと、品がないよね(笑)」
男友達に言われた言葉。

言った本人たちに悪気がないことは、言われた瞬間から分かっていた。でも、私を傷つけようという意図のない言葉だからこそ、「人は私の胸を見てそのように思うのだ」と、それらの言葉は真実として私の脳に刻まれていった。

 脂肪吸引を本気で考えて、今の体が好きだと気づいた

そんな私の視点が変わったきっかけは、大学1年生の時に、脂肪吸引で胸を取ってしまおうと考えたことだった。それまでもずっと頭の中にぼんやりあった考えではあったが、この時ばかりは本気だった。そして、実際にかかる費用や、後遺症の有無、胸が小さくなるとはどのようなことなのか、具体的に調べたり考えたりしている時に、胸を惜しく思っている自分がいることに気が付いた。

「そういえば、褒めてもらったこともあるな」とか、「そういえば、水着は似合っている気がしたな」とか。これまではネガティブな意見の方が圧倒的に多いと思っていたが、よくよく思い返してみると、そうでもないということに気が付いた。

 「今まで言われたことを全部忘れたとしたら、私は自分の体のことをどう思っているんだろう?」そう思いながら鏡と向き合ってみた。

そして、その時初めて、「胸を含めたこの体の曲線が好きだ」と、「美しい」と、感じた。もちろん現実的には服選びが大変だったりと苦労はいろいろあるけれど、そういったことを差し引いてもこの胸を失いたくないという気持ちがあることを知った。 

だれかの意見ではなく、私は「私の美しさ」を信じることにした

私は、ずっと“証拠集め”をしてきたのだと思った。

「胸が大きいことは恥ずべきことだ」ということを真実とするための根拠集めだ。

「胸が大きいことは恥ずべきことだ」というフィルターを通して人の言葉を聞き、必ずしもネガティブでない言葉さえもネガティブに受け止めてきていたと思う。

(もちろん、そもそも人の容姿についてあれこれ言うことには反対だけれど)

胸が小さい人のことを羨ましく思ったり妬んだり。褒められても「こっちの苦労もしらないで」とか、「それ、ただのエロ目線でしょ」とか、いつも殺伐とした気持ちになっていた。「胸が大きいことは恥ずべきことだ」としていたのは、誰よりも自分自身だったのだ。

何を真実とするかは自分の選択だ、と今では思う。

当たり前のことだけれど、そもそも誰かの意見が正しい訳でもない。

どんなにネガティブな意見の方が多くたって関係ないと思う。

私は、「私の体は美しい」ということを真実として選択する。

これは意思であり、私が決めたスタンスだ。

このスタンスに変えてからというもの、一見ネガティブな言葉も、私の耳にはポジティブに聞こえてくるようになった。

一方で、自分が変えたいと思うなら変えたらいいと思っている。

私はこの体が好きだと気づいたからこの体でいることを選択したけれど、ガタガタだった前歯は、自分が気に食わなかったから矯正したし、今は、肌をきれいにしようと奮闘している。

好きな人の好みに自分を変えたりすることも、とっても素敵なことだと思う。

とにかく、「お気に入りの自分でいること」が一番大事だと思うのだ。

褒め言葉を素直に受け取めることができるし、褒めてくれた人のことも好きになれるから。