私は身長が高い。高校2年生の頃にはすでに170cmあった。昔のアルバムを見ていると、どうやら昔からずっと平均身長より高めだったようで、いつも友達よりも高い位置に頭があった。

この話をすると、たいてい友人からは「羨ましい」という言葉を貰う。中には「足が長い」「モデル体型」など、ありがたい言葉もいくつか混ざっていたが、私は身長が高いことが嫌で嫌で仕方なかった。

でかい女が失敗するとダサい。私の背中はどんどん丸くなっていった

理由はいくつかあるが、一番は「でかい女が失敗するとダサい」からだ。
私は家族で唯一運動神経に恵まれなかった。赤ちゃんの頃からハイハイすらしないという、運動音痴街道まっしぐらな道を歩んできている。走るのは遅い。泳げない。球技なんてもっての外。加えて身体も固いからマット運動なんかもできない。体育の成績はお情けと授業態度とペーパーテストに救われてきたクチだ。

世の中には「身長が高い=運動ができる」という図式が存在している。バレーやバスケのように身長が高ければ高いほど有利なスポーツもあるし、その図式が成り立つのも分からなくはないが、正直ずっとしんどかった。
何度でも言うが、でかい女が失敗するとダサい。転んでもダサいし、マット運動で起き上がれない様子はだいたい生まれたての小鹿に例えられる。足が遅いとなんだか奇妙に見えるらしく、普通に走っているつもりでも浮いている気がした。
奇妙に映るのは私が運動音痴だからなのだが、背が高いと必要以上に目立つのだ。母には「違う動きしてるし、運動会で見つけやすい」と言われたが、違う動きをしていても見つけにくい子になりたかった。
目立つのが嫌だった小学生の私は、無意識のうちに小さくなろうとして、どんどん猫背になっていった。歩いている時も授業中も、小さく小さく縮こまって、いつしかすっかり背中が丸まっていた。

小さく見えるように、という呪いの中で選んだ3cmヒール

私の気持ちとは反対に、中学1年生の夏に身長が7cm近く伸びた。入学した時は同じ身長だった友人を突然追い抜いてしまったのが妙に気恥ずかしくて、私はまた縮こまった。
ファッションの幅が広がっても、ヒールの付いた靴を避けるようになった。スカートはなるべく丈が長くて、柔らかい印象を与えられるものを選んだ。変に見えないように、なるべく小さく見えるように。ほとんど呪いのようだった。

そんな呪いを引きずったまま、私は社会人になった。職種柄外回りが多かった為、スーツを着ることが多いのだが、その時に初めて3cmヒールを購入した。
私の職場には男性が多く、いい意味で私のファッションに興味がない人がほとんどだった。多分私がぺったんこな靴を履いていても、誰も何も言わなかったと思うが、私は自分の意志で3cmヒールを選んだ。
もしかしたら本当は、世の中のビジネスマナーに流されただけだったのかもしれない。でもそれ以上に、スーツを着て歩くのならば相応に「強い靴」を履いて「強い女」になりたいと思ったのだ。
当然上手に履きこなせるわけがなく、歩く姿は不格好だった。けれど不思議と背筋は伸びた。躓いても、転んで目立っても、ヒールを履いている時は背筋を伸ばして歩かなければと、一生懸命前を向いた。

ダサいのは失敗じゃなくて、態度。私はでかくて「かっこいい」のだ

ある日、外で上司と待ち合わせしていた時のことだ。すでに駅前で待っていた上司の元へ駆け寄ると、上司は私に言った。

「身長がある分、スーツ着てると目立つというか…かっこよく見えるな」

かっこよく見える。その一言で、私は確かに救われた。上司の元に駆け寄った私の姿は、きっとまだまだ不格好だったけれど、背筋を伸ばして歩くだけで「でかい女でもダサくなくなった」のだ。
目立たないように、人の目に付かないように。怯えるみたいに小さくなっていた私は、ちょっとの気まぐれで購入した3cmヒールに呪いを解かれた。でかい女が失敗するからダサいんじゃない。失敗したことを必要以上に怖がって気にしていたから、ダサく見えているような気がしただけだったのだ。

それから私は、自分の身長が武器になることに気付いた。人見知りをしていても、相手が少し怖い人でも、背を伸ばしてまっすぐ前を見据えていれば「強くてかっこいい女」になれるのだ。パンツスタイルでヒールを鳴らせば、それだけで街を歩くのが楽しくなった。

あの時買ったヒールはすっかり吐き潰してしまったが、お守りみたいに靴箱の中に眠っている。
今はほとんどヒールを履いていない。ヒールを履かなくても、まっすぐ前を向いて歩けるようになったから。