自分のことが嫌いになった、ある苦い記憶

長い間、自分の顔が嫌いだった。

顔どころか、体型も、肌も髪質も、性格さえも大嫌いだった。

私がそんなふうに思い始めたのは、小学生のときだ。

気がつくまでは無いもののように扱っていた、自分の見た目に潜む欠点に対して、ひどい嫌悪が芽生えた。
同時に、決して完璧でない身体を持って生まれた自分自身のことさえ、憎むようになったのだ。

小学6年生の冬、私は初めて母にスキニーパンツを買ってもらった。

キラキラと少しラメの入った布で作られたそれは、とても可愛らしい。
あまり裕福な家庭ではなかったものだから、なかなか新しい洋服を買ってもらえなかった当時の私は、飛び上がるほど喜んだ。

だから、誰かに自慢したくて、褒めてもらいたくて、すぐに学校に着て行くことにした。


期待に胸を膨らませ、教室のドアを開ける。

最初に顔をあわせたのは、クラスメイトの男の子だった。

私は、当時、彼のことがちょっと好きだった。だから、余計に緊張して言葉を待つ。

しかし、次の瞬間、彼から向けられた言葉に、全身が強張った。

「お前さ、なんか、太った?てか、その服、ヘンだな」

いつまでも忘れられないほど、強烈な記憶。

きっと、今だったら、軽いからかいだと思えた。「なんて失礼なヤツだろう?」と一蹴できたと思う。けれど、まだ幼い私にとって、その一言は恐ろしい威力を持って、襲いかかってきた。

(自分は醜いのかもしれない、太っているのかもしれない)

少なくとも、そう思うには、充分な威力を持っていた。

加速していくコンプレックスに追い込まれ、いつしか醜形恐怖症になった

それからというもの、徐々に、そして、強烈にコンプレックスに悩まされる日々が始まった。

小学校を卒業し、中学に上がった私は、マスクをつけていないと学校に通えなくなった。

とにかく自分の顔を隠していなきゃ、誰かに笑われるのではないかと、不安で仕方がなかったのだ。

特に、前歯を見られるのが怖かった。昔から歯並びが悪い。1番前の2本の歯の間がパックリと空いていて、口を開けるたびにその隙間が覗く。

テレビで出てくるモデルさんや女優さんの綺麗にアーチを描く歯と、自分の不格好な歯を見比べては、消えたくなった。

そして、変わることなく、確かなスピードでコンプレックスは加速していく。

次には、長袖に長ズボンを着ていないと、外に出られなくなった。いつもグレーのパーカーとジーンズを着てばかり私を見て、オシャレな姉妹たちが「ダサい」と笑っていたのは知っていた。けれど、笑われる苦しみよりも、隠すことによる安堵のほうが、ずっと私を守ってくれていたのだ。

長袖の下に隠れた手首は、カッターナイフで作った傷跡でいっぱいだった。自傷なんて、痛くて、やってはいけない行為だとわかっていたけど、自分の肌を傷つけるほどに、醜い自分がいなくなる気がしたのだ。

あの異常とも言える心理状態が、「醜形恐怖症」と名付けられていると知るのは、それから何年も後のことだった。

苦しむ私に、母がかけてくれた言葉

高校2年生のとき、見た目に悩む私に転機が訪れる。

それは、母がかけてくれた言葉だった。

その日も、私は鏡を見ては泣いていて、手首の傷をまた1つ、また1つと増やしていた。

一緒に住んでいた母は私の腕の異変に気がついていないはずはなく、しかし、決して止めようとはしない。

なぜ、止めなかったのかはわからないが、きっと母にも考えがあったのだろう。

「ねえ、あんた、なにがそんなに苦しいの?」

ふさぎ込んだ私の顔を、母が覗き込む。

「……自分の顔が嫌で嫌でしょうがない。なんでこんな顔で生まれてきてしまったんだろうって、いつも思ってる」

それまで誰にも相談できなかった私が初めて、自分の思いを口にした瞬間だった。

堰を切ったように先程よりもずっと大粒の涙が溢れ出し、止めることもできない。
娘の悩み事に驚いたのか、少し考える顔をした母は束の間の沈黙の後、声をかけてきた。

「あんたね、自分が醜いと思うのは勝手だけど、あんたは別に醜くないからね」

「それに、」

母が言葉を続ける。

「それに、世の中の女はみんな、もっと美しくなりたいって苦しんでる。でもね、一人ひとりが自分のダメなところも、いいところも、全部受け入れてやっていくしかないのよ。それが、生きるってことなんだから」

母が私の肩を叩きながら、最後に呟いた。

「大丈夫。あんたは綺麗だよ。もっともっと、強くなりな」

自分にかけた呪いを、自分の力で解くために

あれから月日は流れ、私は20歳になった。

身長が伸び、ダイエットをした身体は、中学生の時より、かなりスッキリした。

高校生のときから少しずつ練習した化粧は、ずいぶんうまくなったように思う。
今は、自分で稼いだお金で、好きな洋服を買えるし、お気に入りの美容室に行ったり、デパートにコスメを見に行くことだってできる。

そうしていくうちに、自分のことが少しずつ好きになっていった。

今でも変わらず、コンプレックスの悩みは尽きない。

けれど、落ち込むたびに、あの日の母の言葉が耳の奥で聞こえるのだ。

「私はもっと、綺麗になりたい。そして、もっと強くなろう。大丈夫」

そう思えるようになってから、1つ決めたことがある。

それは、あの大嫌いな前歯を変えることだ。

ずっと変えたかった前歯も、なかなか手を付けることができなかった。

そこには「歯列矯正も立派な整形だ」という考え方があったからだ。
整形が悪いと思っているわけじゃない。
でも、ずっと嫌いだった顔であろうと、形を変えるのは、怖かった。

憎んだまま、もし少しでも手を加えてしまったら、
私にはもう一生、自分のことを受け入れられる日が来ないのではないか、と。
自分にかけてしまった呪いが解けなくなってしまうのではないか、と怖かったのだ。

しかし、今は違う。
自分のことを好きになった。私の好きな私が、鏡の前で笑っている。

「今だ」と思った。今だったら愛せる。
歯列矯正しようがしまいが、私は自分のことを好きでいられる。
もし、矯正すれば、もっと好きになれる。

ほどなくして、歯医者さんに相談しに行くことにした。
診断してもらい、提示された治療費は、決して安いものではなかった。
けれど、高校生のときからバイトをして少しずつ貯めていた貯金を崩して、費用に当てた。

歯列矯正は、痛いこともあるし、手間がかかる。

大好きな食事にだって、気をつかわなければならない。
でも、歯が少しずつ整っていくたびに、嬉しい気持ちでいっぱいになるのだ。

あの日の母の言葉は私の心をずっと支えてくれている。

大丈夫。みんな、自分のことを、もっと好きになれる。


私は、自分のことを好きになったから。
そして、もっと好きになるために、歯列矯正を始めたんだ。