例年の暑さに加え、毎日家を出る前にマスクを付けるためか、異常な暑さを感じる2020年、夏。開催予定だった東京オリンピックもなく、TVではコロナウイルス関連ニュースばかり。マスクありの猛暑日だけが異常なのではない。私の生活もこの夏、大きく変化した。

漠然とした虚無感は消えず、ある日「仕事辞めます」と言っていた

私は東京大学大学院卒業、理系女子、いわゆるリケジョ。世間一般から見れば華々しい経歴を持っている。就職活動も苦労せず、ホワイト企業と呼ばれる安定した企業へ就職した。
入社前から、自由な私には企業が向かないということは、薄々気づいてはいたが、やはり向いていなかった。仕事もないのに常態化した残業、新入社員に大した教育もせずに文句ばかりいう上司、そして、特に興味も意味もないお金のためだけの仕事。お金のためとはいえ、私には耐えられなかった。

心の中に漠然とした虚無感が消えることはなく、2年半が経過したある日。気が付けば、次の就職先を見つける訳でもなく、退職届を準備する訳でもなく、散々と怒られてきた上司に「来月末で仕事辞めます」と言っていた。上司は顔色を変えずに「わかりました」と答えた。

当たり前から外れたことが一番の変化だった

私の生活の何が一番変化したかといえば、もちろん会社を辞めたこともある。ただそれ以上に、私が思う「当たり前とされる道」から外れたことが一番の変化だった。

当たり前のように卒業したら大学へ行き、理系の道を進んだ私は、当たり前のように大学院へ入学した後に就職した。自分の中でも「大学入学」「就職」は当たり前のことだった。そして、当たり前から外れることは、怖いことであった。

塾講師のアルバイトを通して考えた、「働く」ということ

会社を辞めてすぐに私は、学生時代にずっと続けていた、大好きだった塾講師のアルバイトを再開した。アルバイトでもらえるお金は、会社に勤めていた頃の給料からすれば微々たるものだった。それに加えて、社会保険料も全額自己負担となり、会社の家賃補助もなくなった今、収入より支出の方が多くなった。現在は、働いていた時に貯めた貯金を切り崩して生活している。

ただ、久しぶりに塾講師として働いた私は、どこか満たされていた。働くということで、満たされている自分がいた。毎日暑い中マスクをつけながら、頑張って学校へ行き、未来に向かって純粋に頑張ろうとする生徒たちの目は、輝いていた。そんな生徒たちの姿を見るだけで私自身、勇気付けられるし、頑張らなくてはと思う。勉強というものを通して、助けになりたいと心から思った。

この2年間半、自分をすり減らして働いていた私は、自分の中の当たり前から外れることを選んだ。そして、久しぶりに塾講師として働いた私は、生徒たちに勉強を教えるということを通して、働くことの意味を生徒たちから教えてもらった。未来ある生徒たちが、自分自身で未来を切り開いて生きていけるよう、私はこれからも塾講師としての責務を全うしたいと思う。