いま、私は地元の良さを知り、その魅力を伝える仕事をしている。
でも、私は学生時代、地元に対していい思い出をもっていなかった。

私が地元を嫌いになったのは、中学生の頃である。私が入学した中学校には、地元のいくつかの小学校から生徒が集まっていた。

中学校に入学する前、◯◯小の生徒は荒れてるらしい、いじめがひどいらしいとか、とにかく評判が良くなかった。私が通っていた小学校は、比較的穏やかな生徒が多かったため、私は何事もなく中学校生活を送れるか不安だった。

「学校生活って、こんな悲しいものなのか」と自問自答していた日々

中学校に入学してすぐ「ああ、ここはダメだ」と悟った。3年間目を付けられないよう、ひたすら目立たないよう生活しようと心に決めた。そしてもう一つ誓ったことがある。それはこの人たちが行くような高校には絶対に進学しないし、この人たちと同じレベルにならないと。

そう決めた日から、なるべく上のレベルの高校を目指し、塾にも通って、必死で勉強した。
学校へ行けば窓ガラスが割れ、先生たちの怒鳴り声が響き、ガラスがなくなった窓には、段ボールが貼り付けられている。まるで漫画のような光景が日常茶飯事。いじめのターゲットはしょっちゅう変わり、誰かしらは教室で怯えて過ごす。

学校生活って、こんな悲しいものなのかと自問自答を繰り返した。私は目立たないよう、ひたすら適当に3年間を過ごした。

必死で勉強した甲斐もあり、第一志望の高校に合格した。私の中学でこの高校に進学したのは、私だけ。過去にもこの高校に進学した生徒はいないと聞いた。私は、念願叶って地元を離れることができた。進学した高校は、勉強もできる人が多く、いじめも一切ない。ましてや窓ガラスが割れるなんてことはありえない。

自分の目指していたレベルの人たちと勉強したり、遊んだりすることができる環境が嬉しかった。高校に入ってから、地元で遊ぶことは一切なかったし、地元の友人との付き合いも心を許したわずかな人だけ。

大学ももちろん地元とは全く縁のないところに進学をし、4年間を過ごした。

就職して決まった配属先は、嫌いだった「地元」だった…

学生の頃は、地元で働くなんてありえないと思っていたし、そのつもりも一切なかった。
就職をし、最初の一週間は本社で新人研修だった。研修最終日に配属先が発表された。比較的大きな会社だったため、新入社員それぞれが色々な場所に配属されることになった。

自分の名前が呼ばれ、書類を受け取って驚いた。配属先は、地元だったのである。もう関わりたくないと思っていた地元。通勤はとても楽だろうけど、またあの地元と関わらないといけないのか。良い思い出のない地元。一気に落胆した。

就職した会社は、ジョブローテーション制度があった。いずれは地元から、離れられることは分かっていたので、その時まで耐えようと思った。

しかし、働き始めて暫くして気付いたことがある。地元で働いているせいか、地元を含めその近辺で買い物をしたり、遊んだり、今まで近いからこそ全く足を運んでいなかった場所にも行くようになった。

もともと旅行が好きで、当時は月1ペースで旅行をしていたが、それ以外にも“知らない地元を開拓すること”に楽しさを覚えていた。

あれ、地元が大嫌いだったはずなのに。
そして、私は気付いた。
地元が嫌いだったのではなく、あの環境とあの人たちが嫌いだったのだと。
あの環境のせいで、地元まで嫌いという勘違いをしていたようである。

地元が嫌いだったけど、私の地元は魅力いっぱいのことに気付いた!

観光地ではないけれど、地元にも沢山良いところがある。
そして、地元の魅力を伝えたいと考えるようになった。

もともと働きながら、旅行サイトでライターをしていた私は、地元の魅力を伝えられるサイトがないか探し始めた。

タイミング良く、1年ほど前からとあるサイトのライターになった。そのエリア(地元)に住んでいる人がおすすめする場所ばかりなので、ハズレはないと言い切ってもいい。

地元嫌いだった私が、地元を愛し、その魅力を伝えるライターになったように、このエッセイがきっかけで、誰かの地元に対する想いが変わりますように。