私は戦争を知らない子どもだ。私だけではなく、今75歳以下の人はほぼ全員が直接戦争を知らない年代となる。戦争は、学校の授業で習うのみで身近に感じ、触れ合う機会がほとんどない。勉強をしても8月に放映される戦争をテーマにしたドラマやドキュメンタリー番組を観ても現実味を帯びない。自分とは全く関係のないどこか異世界の話をされているような感覚になる。

8月6日広島への原子爆弾投下、9日長崎への原子爆弾投下、15日終戦記念日。どれも歴史上の出来事として、そして社会のテストで出題されるから覚えた語句と日にちだ。数百、数千万人の悲しみと怒りが、僅か十数文字で紹介され、そこに込められた様々な想いに触れる機会はほとんどない。このままだと日本はいつか本当に戦争を知らない子どもだけになる。戦争を知らない私達は、どうすべきなのだろうか。

祖父母の話から得た戦争体験は、私の心を大きく揺さぶった

私の祖父母は母方も父方も戦争を経験し、戦後の日本を生き抜いてきた。その中でも父方の祖父は、職業軍人をしていた際に銃撃を受けて以来、亡くなるまでずっと心臓の下に弾が入ったままという強者だった。「おじいちゃんのここには弾が入っているんだよ」と言われても半信半疑だったが、遺骨となり本当に弾が出てきた時には驚いた。焼かれて黒く焦げても形を保つ弾。手の爪ほどの大きさで人を傷つけることも死を与えることもできるそれを見て、小学生の私は驚きを通りこして恐怖を感じたものだ。ほんの些細な事ではあるが、これが私にとっての戦争体験だったと思う。

もう1つ私にとっての戦争体験がある。私は幼い頃から大学を卒業するまで毎年、夏は母方の祖父母の家で過ごした。15日の正午には必ず、祖母と一緒にテレビの前に座り黙祷し、祖母が話してくれる昔話を聞く事が習慣のようなものになっていた。母方の祖母は看護師をしていたそうで、手当てした軍人の話、看護学校での話、実らなかった恋の話など様々なことを語ってくれた。

祖母の昔語は、身近な人が体験した内容だからか、ドラマを観ているよりもより直接的に響いてくる。もちろんドラマや映画の方が映像が流れるので、今では想像できないような壮絶なシーンを観ると心が動いて涙も流れる。祖母の話は、映像がないので自分でシーンを想像するしかなく、当時の情景を思い描くことは難しい。ただ、昔を思い出しながら語る祖母の声の調子や表情は、どんな映像よりも鮮明に私の心に響いた。

同じ過ちを繰り返さないためにも、戦争は語り継がれる

体験を語るといえば、広島や長崎では語り部として、被爆体験を語り継ぐ活動をされている方々がいる。彼らは二度と同じ過ちを繰り返さないよう、自分自身の経験を通して戦争を知らない私達に語りかけている。

自分の過去を振り返ることは、時に痛みを伴う。それが楽しく幸せな出来事であれば幾らでも思い返したいものだが、辛く悲しく、後悔を伴うものであれば思い返すこともしたくないだろう。私なら早く忘れ去り、これからのことのみに目を向けたいと思うし、少しでもより良い未来にするために嫌な過去は切り捨てたいと思ってしまう。ただ、全ての過去を引っくるめて今の私がある。同様に全ての歴史的過去があったからこそ今の日本があるのではないだろうか。

過去を学び、知る。戦争に関心を持つことが私達の第一歩

既に起きてしまったことは取り返しがつかず、なかったことにはできない。生身の世界ではゲームのようにリセットボタンはないのだ。だが、過去から学び同じ過ちを繰り返さないようにすることはできる。

語り部の方々は、被爆体験を通して何があったのか、どういったことを経験したのか、そしてなぜそのような過去を生み出すことになってしまったのか考える機会を提供してくれている。コロナの影響もあり、直接お話を聞く事は難しいが、過去を知り学ぶ方法は幾らでもある。何も分厚い歴史の本を開けといっているわけではない。自分には関係なく終わったことだと切り捨てるのではなく、戦争に関心を寄せることが戦争を知らない私達にできる最初の一歩なのではないかと私は思う。