私は今日も電子の海に向かって話しかけている。そうでないと私が壊れてしまうから。

ずっと誰かに悩みを打ち明けることが苦手だった。誰に頼ればいいかもわからなかった。しんどい時、悲しい時、涙に溺れるとき、震えながらスマホ片手に連絡帳を見るけど、連絡できる人なんていなかった。だってみんな、私以外に一番大切な誰かがいるでしょう?だから、私の岩のように重く固い想いなんて、受け止めてくれない。いや受け止めてくれなくていい。だって潰れちゃわない?私だったら重くて潰れて、アスファルトの上でしんじゃうカエルみたいにぺちゃんこになっちゃう。

だからそんな時私は震える指でTwitterを開く。重い気持ちを、SNSという広く無限の海へと流していく。みんな聞き流してくれていいよ。こんなオモイ、電子の海へと揺蕩えばいい。以前「いまだにTwitterでぶつぶつ言ってる人ってなんかちょっと…」と嘲笑していた人がいたけど、いや、そうしないと私が壊れちゃうんだってば。というのもTwitterに書いたんだっけか。

最近気が付いた。私、気軽に悩みを吐露できる相手が増えたなって。

こうやって誰かに背負わせたくない気持ちを、ぶつぶつと一人呟き続けて9年近く経っていた。大学生時代はあんなに盛んだったTwitterもいまや静まり返っていて、私のつぶやきなんて誰が見てんねん状態だ。だからただひたすらその時の感情を垂れ流しにしていた。口が悪かろうと、ただの叫びだけの内容であろうと、今私幸せだ!という内容であろうと。そのおかげで今、爆発せずに何とか生きれている。

生きれてるし、最近気が付いた。私、気軽に悩みを吐露できる相手が増えたなって。

新卒で入った会社で仲良くなった子は会社を辞めてからもTwitterでつながっていて、お互いのツイートを見ながら連絡を取ったりする。「あ、彼女なら聞いてくれるかも」とLINEのアプリを立ち上げて悩みを吐露する。逆に彼女からの悩みもたくさん聞く。
大学を卒業してから今でも会う友だちは、私のぶつぶつ呟く独り言に対して「いいね」を押してくれたり、コメントをくれたりする。
本気で本音で話せる友だちは、この2人。2人は私の本心を知っているから。見てくれているから。

かがみよかがみが広げた出会い。自然と悩みを”誰か”に聞いてもらえる。

そして最近、かがみよかがみにエッセイを投稿するようになってからフォロワーが増えた。そのアカウントは当初壁打ち(自由な心情の吐露)のつもりで作ったはずなんだけど、みんな優しく話を聞いてくれて、逆に話を聞くことも増えた。今まで通り重い想いを吐露しているというのに、自然と悩みを”誰か”に聞いてもらえる空間となっていた。
「あれ、私泣き狂うことなくなったなあ」と振り返ってみたら、はち切れそうな気持ちは”誰か”にすぐ話しているからだと気づいた。あんなに誰かに頼ることに怯えていたというのに、自然と解消されていた。

今まで壁だと思っていたその向こうには人がいた。

そう、私にとって心から信頼できる人は、SNSでも繋がっていてくれる人だった。私のどろどろとした気持ちもそっと理解してくれて、それでいて関係を続けてくれる、そんな人たちだった。おそらく価値観も近いんだと思う。

無限の海の小さな空間で、今日も私は誰かに何かを聞いてもらうため、言葉を吐く。今まで壁だと思っていたその向こうには人がいた。話を聞いてくれる人が、反応をくれる人が、たくさん。それに救われています。私、生きていけるよ。フォロワーさん、本当にありがとう。