最寄りのコンビニまで、徒歩30分。
最寄りのバス停まで、徒歩40分。
最寄りの駅まで…徒歩で行ける距離ではない。車で15分。

可もなく不可も、いや、不可は大いにある。我が地元。
「グッバイ・マイホームタウン。もう帰らないよ!」そんな気持ちで、私はこの春一人暮らしを始めた。

快適な「都会生活」は、田舎と比べて便利で快適だから最高!

新しい我が家。一人の空間。

最寄りのコンビニまで、徒歩3分。
最寄りのバス停まで、徒歩3分。
最寄りの駅まで、徒歩30分。少し遠いけど。

実家暮らしの頃と比べれば、格段に便利な暮らしになった。大学も友達の家も行きつけの居酒屋も、全部徒歩圏内。終電を気にする必要もない。電車の発車時刻ギリギリに駅に着いて、慌てて階段をダッシュする必要もない。クモやムカデに怯えて生活する必要もない。見渡す限りの田んぼ、自然豊かといえば聞こえは良いかもしれないが、ピチピチ女子大生の私からしてみればこんな田舎には正直飽き飽きしていたのだ。

もちろん「地元が嫌い」とかそういうことではない。快適さの話に絞っていえば、まあ徒歩3分の距離にかろうじて自販機はあるからといったところで、星0.000001ぐらいかなというだけ。今の暮らしに慣れてしまえば、あの頃の暮らしには二度と戻れない。というか、戻りたくないまである。だから、グッバイ・マイホームタウン。ここを第二の故郷として、今後の人生歩んでいく。そう思っていた。

ネットニュースで目にしたのは、見慣れた私の地元だった

7月。我が地元、大雨に見舞われる。
今暮らしている家と実家は、距離にしておよそ40キロ。公共交通機関で1時間半程度。その程度の距離なので、双方の天気には特に差も生まれず、その日はこちらでもひどい雨が降っていた。「なんか、すげぇ雨だな」ぐらいの感覚。

そんなとき、ネットニュースでチラついていたのは、よく知った地名。最初は「我が地元、ついにネットニュースデビューかぁ」ぐらいの感覚だったが、記事を読めばすぐに分かった。これは、深刻だと。ヘラヘラしている場合ではないと。

画像を開けば、よく知った景色が泥水で溢れかえっていた。インスタグラムを開けば、地元に残った友人たちが投稿したリアルな惨状がずらり。バイクが水に浸かって動けなくなった上に、そのまま持ち物が濁流に流されていく様子を撮影したもの。ヤンチャそうな男の子が、腰まで水に浸かった状態でふざけている様子を撮影したもの。何より一番ショックだったのは、実家のすぐそばの川。

ひどく氾濫して、付近の家屋は浸水し、道は通行止めになっている様子。私の育った小さな街が、沈んでいた。急いで両親に連絡した。実家は高台にあるため無事だが、帰り道を塞がれているとのこと。次の日の朝には氾濫もおさまって、無事帰り着くことができたそうだ。仲の良い友人たちもその家族も、みな無事だった。雨が上がって事態が収束すると、みんなのインスタグラムの投稿もなんだかしょうもない内容に変わっていった。

何もない私の「地元」だけど大切。変わらずそのままでいてくれ…

この災害のあと、所用で実家に帰ることになった。何事もなかったかのように空は晴れ渡り、いつも通りの景色に見えたが、川の氾濫で大きく崩れてしまった道路や、浸水してボロボロになった家屋を目の当たりにした。小学生の頃に大好きだったお肉屋さんは、この災害で浸水してしまい店ごと畳むことになったそうだ。ただでさえ何もないのに、またさらに何もない場所になってしまった。

それでも、私はこの“何もない場所”が、大切に思えて仕方ない。今回の件を通して、それを強く実感したのだ。タピオカは売ってないし、ウーバーイーツもやってない、都会に染まった私からの評判は正直最悪だけど。

頼むからよ、そのままでいてくれよ。
何もないままでいい。何もないままが、いい。
きっと私は、たまに帰るぐらいしかしないけど、もうネットニュースになんか載るんじゃないよ。心配、させないでくれよ。社会人になったらこんなすぐには帰れないんだからよ。

だけど、そうだな。徒歩3分の距離にコンビニが出来たら、そっちに永住してあげなくも、ないな。なんてね。