中学生の頃は塾の帰り道だけが、外で夜空を見上げられる時間だった。家にいると「早く寝なさい」と言われちゃうけれど、塾に行くなら22時以降に出歩くのも許してもらえた。

黒い自転車で、坂道を急ブレーキもかけずに降りる。上を見るといつも星と月が光っていて、それを眺める時間が好きだった。満月の日は特に嬉しくなる。小さな小さなことが、大きな幸せに感じられた……あの頃に戻りたいなぁ。

明石も素晴らしい町やのに、なんで見栄張って神戸出身て答えるんやろ

そんな私の地元は明石やねん。中学校の卒業式で誰が言ったかも覚えていないんやけど、「明石出身であることを誇ってください」という言葉が耳に残り続けてる。

やねんけど、兵庫県の人たちは、みんな「どこ出身?」って聞かれたら「神戸」と見栄張って答えるねん。それも明石の方言じゃ無くて、標準語に寄せた話し方で。神戸も素晴らしい街で、明石も素晴らしい町やのに。

思ったより田舎じゃないし、海は綺麗やし、日本標準時の町として時計台と天文科学館あるし。プラネタリウム見られるし。そうそう、小っさい頃はプラネタリウムが市町村ごとにあると思っとったわ。今考えたら、めっちゃ貴重なことなんやな。毎回、行ったら上映前に大好きないきものがかりの『プラネタリウム』が流れて、私にとっては最高の場所やった。

近くにある中学校も、小学校も、新しくなってもて、駅前もリニューアルしとる。今は大阪に住んどるから急用がない限り、県外にも行かれへん。昔のまま残っとる思い出の場所は、ほんまに天文科学館ぐらいしかないねん。

眠れない夜、ふと部屋の天井を見上げながらあの頃の空を思い出す

大人になってから、空を見上げているだろうか。こんなに自由に出歩けるようになったのに、「いつでも見られる」と思うと、贅沢さが分からない。ふと見ると、大阪の空が明るすぎて、灰色の雲と街頭の灯りでぼやけていた。部屋の窓から夜空を覗いてみても、ビルや街の風景や、車が通る風景が瞳に映っている。

深夜2時に、起きてカップ麺を食べることが至福になってしまった22歳の夏。

眠れない。エアコンと扇風機が鳴る音だけ、聞こえる部屋で、2時間も目を閉じて待ってみた。そんな日々の繰り返しだ。外に出ても下ばかり向いて歩いてしまう。人の目が怖い。起きていることをバレないように、電気を消したまま、PCを開いてみた。浮かんでこないくせに、書くことの楽しさに取り憑かれている。

ふと、天井を見上げてみると、扇風機の大きな影が君臨していた。薄いピンクの長方形から、光が発光。じぃっと見つめてみると、太陽の周りに丸い虹があるように見えてきた。あまりのまぶしさに目がチカチカする。

特別だった夏祭りの夜。空には月や星と並んで夏祭りの灯りが浮かぶ

夏祭りの夜空を思い出す。今年は、どこも中止になっていて、楽しみが減ってしまった。あの特別な空気感が好きだ。冷たい夜の空気に、和太鼓の音と楽しそうに盆踊りをしている人たち、わたあめを作っている人たち、抽選をしている人たち、みんなが楽しそうに過ごしている風景が好きだった。それに、いつもは5時の鐘で返らなきゃ行けないのに、外に居ていい時間だったから、いつもより特別感があって、わくわくが止まらなかった。そんな楽しい時間も過ぎて、肩を落としながら空を見上げてみると、月や星と並んで、夏祭りの灯りが空に反射して浮かんでいる。

小学生の頃は、決まって紺色に黄色くて大きなひまわりが咲いた浴衣を着ていた。当時は周りの同級生みたいに、赤やピンクの明るくて、フリルが付いていて洋服みたいなスカートになっている、分かりやすくカワイイ浴衣に憧れていた。

それに比べて、暗い紺色の浴衣。着たいものを着ている同級生が、リンゴ飴を持って駆け寄ってきたから、「知らない」と冷たい対応で会話を終わらせた。私の手には金魚をすくえなくて、破れてしまったポイ2つ。あーあ、よりによって、こんなときに来なくていいのに。

でも、本当は良い生地を使った価値があって、代々、受け継がれている大切な浴衣だった。もうサイズが小さくて着られないのが悔しい。上品なのに、ひまわりがあることで華やかさも兼ね備えている。そんな浴衣だった。

また、明石に遊びに行きたいなぁ。