人口3,000人弱のコンビニなし、人の会話より聞こえる蛙の合唱、最大2両の電車が1日に指を折って数えるほどの本数しか止まらない、小さな町。田舎といわれるには十分すぎる要素を持ち合わせたこの町で生まれ育ったことは、思春期の私にとって劣等感のかたまりだった。

高校生までの私は、会ったこともない都会の少年少女を妬んでいた

田舎に住んでいれば誰だって、華やかな都会暮らしに憧れたことが1度や2度あると思う。かき氷なんて、お祭りでおじさんが作ってくれるものだと思っていた。それなのに、画面の向こうの女子たちの目の前にあるのは、お皿いっぱい雪みたいに積もった氷の上に鮮やかなフルーツソースがかかった見たことない食べ物。すくった一さじが制服姿の少女の口に消える。平日も休日も、情報バラエティー番組は日本のごく一部の人たちのために流れている。

会ったこともない都会の少年少女を妬ましく思ったことが何度もあった。高校にすらまだ入っていないのに、首都圏の大学に行くことばかり考えていた。より良い教育、刺激的な出会い、自由な装い、飽きの来ない日常。憧れが強くなればなるほど「こんなところから早く出たい」と思うようになった。

自分の世界が広がることは、見たくないものも目に入ることかも…

上京して5年、想像していた道から外れたり、迷子になったりしたことは幾度もあったが、憧れていたたくさんのものに手が届いた。正直、上京して万々歳。微塵も地元に戻りたいとは思わない。親不孝ならぬ地元不幸。

しかし、ふと上京前の自分を思い返すと、当時の私は、都会に出ることでただ自分のダサさや惨めさを霞めたかっただけなのかもしれない。意味不明かつ理不尽な規則に嫌悪感を抱きつつ、真面目という枠からはみ出せない自分。体育の後、廊下ですれ違った子からせっけんの香りがした時の劣等感。全部全部、田舎のせいにすれば楽だったから。

そういえば、受験前に地元の大学に進学を決めた友達に言われたことがある。
「俺、東京に住むの…多分無理だな。修学旅行の時さ、どっかでホームレス見て…なんか…ショックだった。現実見せられてる気がして」
自分の世界が広がるということは、同時に見たくないものまで目に入るようになるということである。「人とすれ違う時はあいさつをしなさい」と教えられた、あの小さな世界しか知らなかった私は、キラキラした都会暮らしにひたすらまっすぐに憧れる無知でかわいい存在だったかもしれない。

私はもう、“人身事故”が読んで字のごとく、人が身を投げ出すことで起きているものだと気付く前の自分には戻れない。

帰省のための飛行機のチケットをキャンセルして3週間が経った。実家にいない8月なんて初めてだ。夏休みと年末年始の2回は帰省していたが、去年の夏から留学に行っていたことで、もう1年近く地元には帰れていない。あれもこれもアイツのせい。「帰らない」と「帰れない」は全く別物だ。家族に会いたい。慣れ親しんだ海の匂いを嗅ぎたい。なーにが“オンライン帰省”だ、ばかたれ。

帰る場所があるという「安心感」は、私の背中を支えてくれている

会わない時間が愛を育むとはよくいったものだ。故郷への愛着も両親への感謝も、離れたことで増していく。たまに帰るぐらいが、私と地元が円満な関係を保ち続けるのに丁度いいのだ。

帰る場所があるという安心感は、私の背中を支え続けてくれているし、結局あの時の田舎コンプレックスはバネとなり、今私を上へ上へと飛ばし続けてくれている。

東京の私は、あの小さな町の私の延長線上を生きている。ありがとう、劣等感。またね、なんて言えないけれど。

最後に。1月1日に“今年叶えたいことリスト100”を作った、後半の20個ぐらいは対して思い浮かばず「これでいっか」と半ば惰性で書き加えたけれど。「こんなの当たり前だけど」と小さく鼻で笑って加えた100番目のやりたいことは叶えられるか、否か。

「100.家族で年越しそばを食べる」