高校の3年間だけ使っていた駅がある。
小さな駅で、ホームには屋根がなく、雨の日は傘をさして電車を待っていた。木製の、雨風にさらされて色の薄くなった、鉛筆みたいな形の柵がずっと続いていた。
駅前の通学路には、使われなくなった線路が横切っていた
自宅から、線路と畑の間の道を真っ直ぐ自転車で走り、高速道路が上を通るトンネルを3つ抜けると、駐輪場に着く。駐輪場と言っても、線路沿いの細長い土地に砂利を引いて、有刺鉄線で区切ってあるだけの、秩序のないものだった。そこから駅までは5分ほどある。その道は、私の心の中に永遠に在り続けるだろう。
左手に駅のホームを臨み、右手にはこぢんまりとしたお店が並ぶ。パン屋さん、本屋さん、学習塾。個人の経営であろうそれらは、私が学校に行く時間はまだ閉まっていて、私が学校から帰る時間にはもう閉まっていた。自転車も、お店も、たくさん並んでいるのに、不思議とその道で人を見かけたことはほとんどなかったように記憶している。自転車を止めて、その音のない一本道を、毎日制服で歩いていた。
突然、線路が横切る。家々は途切れ、乱雑に止められた自転車もそこで終わり、その一本道を線路が横切る。今はもう使われていないのか、2本のレールが道に埋まっている。それは、駅の方から来ていて、街の方を目指してぐんぐんと伸びていた。道の両脇には木の柵が立っていて、人の侵入を阻み、2本のレールだけを通す。柵の向こう側は膝の高さほど伸びきった雑草が、若草色に広がっている。雑草の下を茶色いレールが続いているのが僅かに見え、雑草の上、青空の下には、鉄塔と送電線が、レールにどこまでもついていくように並んでいた。
毎日その道を通っていた。晴れの日も、雨の日も、楽しい日も、辛い日も、その道は変わらず、線路が横切っていた。
当時のガラケーで、錆色のレールとその周りの景色を写真に収めた
ふと、学校に行きたくない日があった。今となっては思い出せない、些細な理由だった。朝、駅へと向かう一本道で、足が止まってしまった。線路の向こう側に見える駅のホームに背を向けて、道路を走る2本のレールの上に立つ。このレールはどこに繋がっているのだろう。街の方、駅の近くを走る国道の方向へとレールは大きく曲線を描き、駅前の高い建物の陰へと消えていく。誰が、何のために、どこへ行きたくて作ったのだろう。このままレールの上を、草の間を、歩いていって、確かめてみたくなった。しかしそれは叶わない。私は学校に行かなければならないし、木の柵が通してくれない。そうして、私は柵の向こう側へ焦がれながらも、毎日正しいレールに乗って学校へと通っていった。
卒業式を目前に控えた朝、いつもよりも少し早めに家を出た。この道を通るのもあと少しかと思うと、ゆっくりと、大切に歩いた。大学からは路線が変わるので、別の、もっと栄えた大きな駅を使う予定だった。その日が、特別に天気が良かったとかは覚えていないが、ふと、この景色を写真に収めようと思い立った。当時使っていたガラケーで、薄茶色の木の柵と、その向こうの草原と、隙間を縫って走る錆色のレールと、鉄塔が切り取る空を、小さな粗い画面に残した。
あの線路が、鉄道会社が昔使ってた貨物線の跡だと知った
大学生になって、人で溢れた、ビルのそびえ立つ、大きな駅を、私服で、スマホで時間を確認しながら毎日通っていた。行きたくないなと思ったら、授業を休んだ。
ある日友達に何気無く、あの使われていない線路の話をした。誰が、何のために、どこへ向かって、という疑問を、友達は簡単にスマホで調べた。鉄道会社が、昔使ってた貨物線の線路跡で、国道の手前でぷつりと途切れている航空写真を見せてくれた。
ああ、世界はこんなに簡単にわかってしまうものなのか。あの色彩が全て色褪せてしまったように感じ、がっかりして、そして興味がなくなってしまった。
私は、本当の事が知りたかったのではなく、現実の世界の隙間を無理矢理に通っていくようなあのレールなら、私の代わりにどこまでも進んでいけるような気がしていたのだと、漸く気づいた。それでも大学で新しい世界にたくさん触れていくうちに、すぐに小さな駅への通学路のことは思い出すことはなくなった。
人のいない、どこまでも続くレールを思い出す
社会人になって、やはり、大きな駅を使っている。スーツで、人の間を縫って、行きたくない日も、毎日同じ時間の電車に乗る。そんな時、あのガラケーに収めた、人のいない、どこまでも続くレールを思い出した。あの線路はどこへ続くのか、私の心の中でなら、どこへでも、どこまでも続いていけるのだ。
あの景色を胸に、私は今日も会社へと向かう。会社へと続く道のりは、心の中であのレールと重なる。
世界を知るのは思ったよりも簡単で、知る前にはもう戻れない。それでも、心の中でだけは、あの時の気持ちも、あの時の憧れも、故郷はずっとそのまま変わらずに存在し続けている。