私はどうして、友人や同僚には言ってあげられるのに、自分自身には言ってあげられない言葉があるのだろう。
どうして自分には「今のままではダメだ」と突き放すのだろう
例えば、友人が「太っているから痩せなければ!」と話すと、私はいつだって、心の中から「今でも十分素敵だよ、無理しなくていいんじゃないかな」と伝える。
「私って魅力がない」と落ち込んでいれば、私が思い付く限りの相手の良いところや魅力をプレゼンする。
「三日坊主だ」と話せば「そんな日だってある!むしろ毎日続けるために、今日はお休みして明日からの作戦をねろう」と応援する。
これらの言葉は、上部だけではなく、そのときの私が本当に思っている言葉だ。
だから素直に伝えるし、励ますことができる。
けれど、自分への言葉は辛辣だ。
ダイエットに励んでいた頃は、毎日腹筋100回、腕立て伏せ30回、プランク1分。全身をマッサージして、脚が細くなるといった動きも取り入れる。仕事柄日勤、夜勤があっても毎日やらねば「継続する力がない怠け者」と自分を攻撃した。休みの日は必ず10000歩以上歩くというルールをつけ、真夏に気分が悪くなり座り込んだこともある。
資格試験のための受験勉強では、目標点数を90%以上に設定し、模試や過去問を毎日解き続け、最終的には友人から質問された際に「何回の模試の何番の問題に同じようなやつがあって…」と解説していた。
ダイエットで痩せても「ここが太い」「醜い」と、鏡を見ないようにしていた。勉強して高得点を出しても「ここのミスは防げたはず」と、自分を攻撃し続ける。
どうして私は、他人に「あなたはそのままで素敵だ。素晴らしい人間だ」と伝えられるのに、自分には「今のままではダメだ」と突き放すのだろう。
こんなに醜くて怠け者でダメな自分を、私は好きなの?
先日、メンタル面のサポートを仕事としている人とお話しする機会があった。世間話をしていて、私の友人が共通の知り合いということがわかり、彼女の話しになった。彼女の素敵なエピソードを話していたところ、その方から「しろさんは、人の良いところは話せるのに、自分は否定的なんですね」と言われた。
いつもそうなんです、と軽く流したが、精神的に何か分類されたりするのかと思い、聞いてみると、驚く回答がきた。
「しろさんは、自分のことが好きで、執着している状態、自意識過剰なんですよ」と。
まさか、自分が好きなの?私が?こんなに醜くて怠け者でダメな自分を、私は好きなの?
顔に出ていたかもしれない。その方は苦笑いしながら話してくれた。
「今はみんな自意識過剰なんです。だから承認欲求をみたしたい、誰からどう思われたいと必死でしょう?他人はどうでもいいんです、他人だから。でも自分のことはそう投げ捨てられないんですよ」と。
「自分のことが大好きなのね。だから意地悪するのね」
自分のことを批判するのは、自分ならもっとできるという期待や見栄、願望ということだ。
なんという矛盾だろう。こんなに嫌いな自分を、目を背けたくなる自分を、私は大好きでしょうがないから執着する。
目から鱗が落ちるとはこのことだった。その後時間がきてしまい、この考え方や気持ちを和らげる方法を聞くことはできなかった。でも私は、自分を攻撃し始めると、心の中のもう一人の自分が笑い出す。
「自分のことが大好きなのね。だから意地悪するのね」と。
そう思うと、攻撃する自分が弱まる。
もしかしたら、みんな、この矛盾を抱えているのかもしれない。